運営記

量だけ増えれば集合知なのか?

いまの情報収集スタイルにして丸一ヶ月分のデータが溜まりました。HTMLに編集しましたので興味のあるかたはご覧ください。どういう風にやっているのか知りたいかたは、黒板ぽのトップページに書いてあるので参照されたし*1。読み手のかたに提供することを前…

「ひととのつながり」があればアクセスはいらない

ひととのつながりがあればアクセスはいらない。 なぜ「ひととのつながり」を求めるのか? 互いの関心によってひちびかれる関係が魅惑だからだ。 「ひととのつながり」は影響力を意味するからだ。 「ひととのつながり」など幻想ではないか? ひとはわかりあえ…

「わたし」という「情報源」をひとに薦めよう!

(はじめに断っておきますけどね、この見出しは本文において一切消化されていません。毎度ありがとうございます) これからは情報の価値がどんどんと貶められる。情報ニヒリスティック時代。情報を切り捨てる技術の時代がくる。そのためには価値のない情報を…

わたしはこんなにもあなたを好きだよと伝えるとおもしろがってもらえるのだろうか

わたしがこれこれこういう状況にあるのでこれはとてもおもしろい、というのが常であって、わたしがいまおもしろいと感じた対象をそのまま読み手に紹介しても、同じようにおもしろがってくれるはずがない。「わたしにはおもしろいのに、なんで?」の理由。で…

図書館に尽きないのは良書ではなく、ひとを育てる営みだ。

僕は図書館に行くたびに五冊借りていますが、毎度毎度「これらは最高の五冊だ」と満足しています。最高の五冊ばかり選んでいるとつまらない本が残りそうです。実際、最高の五冊を選んだその日は、図書館に積まれたほかの本たちにさほど魅力を感じなくなりま…

集約された情報は眺めることでしか価値を得られない

図書館の利用者にとって情報の価値とはどういうことか。本を読むことだ。目的は本の意味内容であり、実際に読まなければ情報としての価値はゼロに留まったままだ。では、図書館における情報の価値とは何か。すべての本を読めるはずはないから、目的が本の意…

本当にわたしが信じたいことを確かめる

わたしには疑いがある。信じたいと望んでいるのに、でも、だって、どうして、とあいまいな疑念がわきあがり、信じたいことを信じれずにいる。ならば、文章に書けばよいのだ。言葉にすることで考えていることがよくわかり、確かな気持ちで信じられるようにな…

ほかとは一線を画したニュースサイト

ニュースサイトの運営者どもは毎日毎日あほかというほどに情報を扱いこなしている。でも昔のことは覚えていない。「紹介したすべての記事(内容)を覚えている」ニュースサイト(というか運営者)は独創的である。形に表れないから意味がない? 形だけあって…

「場のあり方を強制するアーキテクチャ」をだらだらと書き換えたもの。というか「世界と場の認識」と「ウェブという世界と場の模索」は読み返すとおもしろい。一方さいきんの文章は良くないのではないかと、気分が沈む。

あの日、VIPピアノを聴いていましたけれど演奏が終了しましたので、ネトラジのほかの番組をいろいろと巡りました。そこで女子中学生の声を聞いていまして、いつものように、よいものであるなあ、と感じるわけです。そのような女子中学生に対して性的な話題を…

体験を体験のままに閉じ込めておくこと

駅さんに非常にうまくまとめられてしまいして、しかし僕は果たして「経験」が目的であるかと考えました。ただし対立する考え方ではないと思います。S嬢さんも気に入った「文章に書く/文章を書く」という枠組みを用いてそのうち書いてみたいですね。書かな…

莫大なエントリの連なったブログがひとつの作品へと昇華する瞬間

それは、運営者が死んだとき。

議論を殺すのはひとの感じたことへの反論である

感じることは自由に決まっているじゃないか。 ひとの感じたことに反論するばかやろうども、 それが「反論」を殺すのだ。 「反論」が怖い僕たちよ、ひとの感じたことを肯定しよう。 そして、ひとの考えたことへ「反論」する。 けれど僕が好きなのは……。 感じ…

昨日を忘れたあなたには、きょう得る情報の即時性などありえない。

(2005-09-30)

他人のひとり語りは面白いのかどうか、について。

ひとは僕の書いた文章を解釈する。その意見のいくらかが嘘であると自覚していて、またその表現のいくらかが誇張であると自覚している僕にとって、彼らの解釈はときに大胆不敵である。辱めるような、驚かせるような、照れさせるような、しかしおもしろい解釈…