はてさて

『スランプ克服の法則』p.201-203)
 
リマインダーとして、何かひとつ、習慣になっていることを一定期間やめるという方法がある。
高校生のときに、受験勉強の伸びがいまひとつで悩んでいたときに、先生から「ギターを止めよ」と言われたことがある。ギター歴が五年めくらいのときである。
そのとき、「生活時間を切りつめて、ギターの練習は一日十五分にまで局限していますから、勉強の妨げになっているはずがないと思います」と抗弁したことを覚えている。
それに対する先生の答えは、つぎのように実に厳しい口調のものだった。
「その十五分というのがいかん。たった十五分というが、その十五分のために、心構えのうえでもっと大きな問題が起こっているのや。止めろと言ったら止めろ。そこまで『十五分』と言って、(抗弁して)がんばる姿勢が、成績の足を引っ張っているのや。そんなギターしたかったら、そのまま弾いて、その十五分のために大学に落ちて後悔しろ」
意を決してギターの練習を完全にやめたところ、確かに成績が上昇し始めた。不思議な思いだった。
勉強は足りていたので、成績が上昇し始める準備は整っていたのものと考えられる。いまから考えると、数年やっていて自分もそれなりに愛着のあったギターの練習をやめるということが、受験勉強への自我関与を高めた側面が大きかったようだ。
ギターを続けていたことのなかには、ギターが重要な活動だったということのほかに、「受験勉強などに全力投球してたまるか」というような距離感があったものと思う。そのことは、実質の学習面とは別に、それだけ受験勉強への自我関与が薄かったということであろう。ギターは、無意識のなかで、勉強への自我関与低下のための認知道具だったのである。そのギターの練習をやめたことで、勉強への自我関与が本格的なレベルに上昇したのであろう。
このように、何かひとつをやめるということは、自我関与を上昇させる側面がある。できれば、習慣になっているようなことで、やめたことを思い出す頻度がある程度高いものがよい。当該の技能と無関係でよい。要は、そのつながりを本人が認識できるもので、止めることがある程度辛いものであることが条件となるだろう。