「他人の立場に立つ」ことと「自分の身になって考える」ことが同義なのはおもしろい。国語の授業で、それが「自己中心的利他性である」ドカーン、「そして人間は自己中心的利他性から脱することができない」ズバーン、と習ったけれど、それ、「思いやり」ってよべばよくね?とか思う。あのひとが、されたい!だからしたい!と本気で思ったことを、してもらえるんだよ。どきどきするよ。うれしいよ。

(受験記001日目 2005-09-14(水)より)
●自分のわからないことは思いやれない
思いやりとは、思いを、やることだ。
放課後の勉強。ため息をつくクラスメート。椅子をひく。ギーギー鳴る。うるさい。だが不快でない。みんなつらいんだよ、とか、みんな暑いんだよ、とか、なにそれ、って思うけれど、この瞬間においては、わかる気がした。自分がいままさにそうであるからだろう。むしろ、僕の代わりにおこなってくれた、代弁者。行動をもって代弁する。
思いやりとは、実感を、代弁してもらうことだ。

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