『夜のピクニック』

学校行事というのは日常に用意された非日常の舞台。たまに突発する道徳の授業とかもそのたぐいでしょう。そこから広がる足取りは、はたして日常に踏み込むのであろうかという疑問はしばしばいだいていました。
学校行事は予定な容れ物。はいるものたちは未定に振る舞う。しょせん学校行事、なのに、けっきょくはこんなにも楽しまされてしまうのか……いいや、と気づくに、楽しむ主体が自身たちである確信をつかむ。枠のなかに閉じた反逆。突き破らん、と。
結末に向かうあたりの「現実」にまつわる修辞がすごくおもしろかった。日常に戻れば消え去る魔法。ドラマを終えてはじまる現実。「まもなくこの本を読み終えるあなた(わたし)」に対する訴えかけを感じるのは深読みだろうか。
最後にきつい坂が出てくるのはお約束だけれど(笑)、やはりおもしろい。坂の上にあるのは母校であり、どちらかというと「現実」の象徴であるはず。そこに「ずっと先」の「いつか」をみるとは、どういうことか。そもそも非日常にあるこの舞台で現実をみることはできようか。すべては魔法がみせた幻覚ではあるまいか。だいたい、この本だってドラマみたいにいいところで終わってるぢゃん。終わるだけでなんも始まらんやん。
なんでこんなに苛立っているのだろうと考えてみた。これは、「まもなくこの本を読み終えるわたし」としてのわたしでいられないからだな、と思った。ちぇ。