著作権・仮定・シンプル

ある授業で著作権についてやっている。とあるフレーズの引用について、それが盗作であるかどうかということを考えた。
授業のおわりのほうで掲示板に匿名で意見文を書くということをやった。いや、匿名じゃなくてもいいんだけど、匿名にできますよっていわれると匿名にしたくなるのはどうしてだろう(笑) ふだんネットでどんどんプライベートをさらけだしているというのに。でもそれにしたって実質的にクローズドなことがけっこう多いか。
それにしても、即興で意見文を書き上げるというのは難しい。短時間だと分析に終始してしまう。いや、時間があるほどそうか(笑) だからこそ、肯定と否定をまずはきっぱりと決めてしまうのがいい。ディベートの方針そのものだし、べつにそれで自分の価値とかがどうこうなるわけでもない。シンプルに。
でもやっぱりいろいろ考えてしまう。おさらいすると、著作権ってのは思想や感情を創作的に表現したものに与えられる。それでこれは意外といえばそうだし、ちょっと納得もしたのだけど、その中身じゃなくって、表現そのものに与えられる保障らしい。ということは、発想はパクりほうだいじゃん。ひゃほーい。なんかまつがってそう……。
フレーズ引用問題でいくと、論点は「引用の分量」「背景にある感情の違い」「微妙な改変」といったところだろうか。そもそも「表現」ってなんだ。「表現」の断片もまた「表現」だとしたら、究極にはちょっとした造語ですらひとのもんなのか? 俳句と小説を同列に扱うにも無理がある。さすがに小説を全文転載するバkゲフン天才はいないだろうが、かといって俳句をごっそり引用するのはまったくべつごとに思える。
著作権によって守られた表現を無断使用するのはイケナイっぽい。でもその表現が思想や感情という前提に成り立つものである以上、その土台が異なっていれば表現もまたべつのものであるといえるかな。思想・感情でなく、表現が守られる、という性質はやっかいだよなあ。
べつに意見文を書くわけでもなく調べもせずに思ったことだけを書いてみたけれど日記なので。申し訳ないけど著作権はあくまでネタ。とことで、より抽象化して考えるなら、法律ってやつは思ったよりあいまいだなと。解釈の余地しかねえ。だから議論や裁判が必要になるのだなあ。事例、ってやつが重視されるのもなるほどだ。はじめから結論がみえているわけではない。方向性を仮定しないと収集がつかない。
意見する、議論する、というのは仮定を設けてそこから外れないように思考を進めることがポイントでしょうね。そのまえに前提をみんなで共有するということも欠かせないけれど。そうするのが一番シンプル。ひとがいるわけだから、自分であれこれ考えなくてもいいんだね。レポートを書くときも似ているかも。反論を前提にすればシンプルに考えることができる。そういう思考術も磨いていきたいなあ。