なぜ書くのか/書くこと

思ったことを書く。本能的できもちが元気になる点がよろこばしい。表現に関する瑣末を気にしなくてよい。その素直な性質から波長が合えば読み手のこころを強く揺さぶることも期待できる。しかし意図の介在する余地はない。姿勢による部分も少なくはないが、偶然と共時性によるところが大きい。よりどころとして捉えるのは無茶でないが、目的に掲げるのはリスクが大きいので注意すべき。ある意味、しあわせ。
考えたことを書く。表現に関する。伝わらないのは、なぜ。伝えることは、なに。方法を考える:手段。内容を考える:目的。技術/価値。近いようで遠い問い。
問いを立てる。問題点、背景、過去、推移、理想、対策を、念頭にぶち込んでかき混ぜる。練りあがった答えを返す。
問いに意味がなかったとき、伝える意図に意味はなく、伝えた意味に価値はない。単純さ、明解さ、精確さは、不完全性の枠に閉じてこそ姿をもち、外の世界は闇に包まれ、この世界はその闇に包まれる。この明るさに意味はあるのか。
外は柔らかい光で出迎える。明と暗が入れ替わる。闇は自身を包み固化する。道具という前提に暗転する。さあ、考えよう。何を伝えるかが大切なのだ。伝えるべきことを考えよう、考えるべきことを問おうではないか。それは、本当に大切なことを考えることなのだ。
ブラックボックスが手招きする。ふたたび闇にいざない込む。伝わらない意味の価値を疑わせる。
議題、論点、問題、さまざまな観点から思考の建設が試みられる。いずれもが共有されることを前提させる。うまくいかない原因を情緒に転嫁できたら楽なものだ。見据えた先で、なおも齟齬は免れない。自己欺瞞であれば、むしろありがたい。そうでなければ……。もっと外の枠へ。もっと高い闇へ。
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意思決定プロセスの明文化。言語の記述機能を真正面から利用する。もっとも素直な取り扱いであると同時に、その限界に掠りかねない挑戦としての側面も見出せる。焦点と観点を組み替えれば無限に対象はみつかるため、原理的には言葉の枯れる心配は無用である。だからこそ価値に疑いをいだきやすい。それ自体を目的に捉えることでしのげることもあるし、その先にはべつな解釈を要する。
思考が言語に依存するということは、思考が比喩に依存するという文意と同値である。そして理解はモデルに依存するということだ。記述機能もまた一定のモデルにもとづくものであるとすれば、明文化といえども、その姿はさまざまなかたちをとって現れる。だから別々、あるいは、だからこそ同一? 明文化とは、見せかけに過ぎないのか。そうでなく、本質に障らない揺らぎという言葉の豊かさゆえか。
行動様式形成の形式知化。上を戦術としたら、こちらは戦略に当たるだろうか。思いつき。ある局面、偶然性の強い系を意図する方向へみちびこうとするとき、不完全な記述と不整合な論理を避けることはできない。精神に因果を読み解くことはできる。けれど糸はぷつぷつ途切れる。無数の始まり始めによって日常は動いている。揺さぶる。
……形式知化? 形成を成して、かつそれを形式知に落とし込むことは有意義なのか? 形式知化という方針を立てることで形成を促す、という捉え方がふさわしいかもしれない。具体性に欠ける。