誰のためにtsudaる

ミンスキー先生の講演をtsudaってみました。人間の高レベルな思考を解き明かそうという姿勢が感じられて、人工知能やロボットというテーマ以上に教育のあり方や人間の知性に対する真摯さが伝わってきました。
講演ログ:2009年6月19日 Marvin Minsky「コンピュータ科学の未来:常識あるロボットの実現に向けて」 - omote87 - ハチロク世代
今回は通訳つきの講演だったのでtsudaる環境としてはやや特殊ですが、やってみた感想を述べます。英語はろくに聞き取れないので、訳者の発言をエディタにメモしつつ適宜まとめを書いて投稿するというかたちです。作業の負担としては、訳者の発言を聞き取ってメモすることが一番大変で、まとめをつくることはそれほど難しくありませんでした。
しかしまとめているうちに話も進んで、今度はメモがおろそかになります。メモを取ってしまうのは、話を聞きながら理解できるかに不安を感じるからです。愚直なメモを控えて直接まとめをアウトプットできるかどうかが熟練者との分け目なのかなと感じました。背景知識とひとが読めるレベルの記述を直接書き下ろす表現力が必要です。普段のメモの取り方も考え直してみようかなと思いました。
tsudaることで講演に対する理解がその場で深まるかというと疑問です。ただし、自分で振り返るときには助かりました。ついったーにtsudaるわけですから、ひとつの発言はひとつのトピックに絞りたくなります。講演を振り返るなんていうのはそのくらいで十分で、細かい論理構造を含めてメモしてもかえって読み返すのがめんどうになります。tusdaることは自分のためのまとめとして有用であると感じました。
ここには「総合学術辞典フォーラム」参加報告で愚直なメモを載せてしまったことへの反省があります(ほかにもメモを取ったきり振り返っていないイベントはあります……)。やり方次第でしょうが、耳に入ったままの単純なメモって語句レベルの書き方になって発話者の意見がぼやけてしまうのかもしれません。
ただしtsudaっていてもちろん実感するのは、まとめる過程でいろんな情報をそぎ落とさざるをえないことです。このようなまとめで得られる情報は、せいぜい何について話されていたか、程度で、それぞれの意見の根拠やそこに込められた思いなどは、やはりその場でしか得がたいものでしょう。
自分にとって振り返りやすいものは、きっとひとにとってもうれしい情報だと思います。インプットを未来の自分に役立てるためにも、こういう情報発信を通して情報の得方を見直していきたいです。