コンテンツとしての科学技術

下のイベントの動画を観ました。
麻生内閣の国民対話「利便性の向上や活力ある地域づくりに貢献する科学技術」
関連:内閣府 - 科学技術政策
資料が公開されていてよいですね。塩谷大臣のプレゼン、九州大学有川先生のプレゼン、そして来場者との対話というかたちで進みます。来場者にもいろんな立場のひとがいて有意義な対話だったと思います。それだけに、ぜひ全国各地で同じような場を設けてほしいです。

ソフトパワーを教育に

対話のおおざっぱな感想を書きます。科学教育に関する意見が多く交わされました。たとえば科学者との対話を企画する、科学館や図書館を科学教育の場にするなどの提案が出ました。すでに日本は優秀な人材と豊かな施設をもっているのだから、もっと市民に触れてほしい、というきもちがうかがえます。
科学者と対話する機会を用意するうえでの問題は、ノーベル賞受賞者などの有名な科学者の忙しさです。しかし、大学にいるたくさんの研究者にも活躍の場があります。九大では公開講座アウトリーチ活動などで市民からの理解を試みているようです。会場では話題に出ませんでしたが、こういうときこそジャーナリストが活躍できるのではないかと思います。科学と科学者の魅力をわかりやすくタイムリーに伝えてくれるプロがいればこの問題の対策にもなります(たとえば森山和道さん)。
科学館や図書館が教育の場としても有効であることには実感がもてます。たとえば上野の国立科学博物館はとても充実していて楽しめたのですが、高校生以下の入場が無料であることはそれ以上に衝撃的です(笑) コミュニケータのかたが修学旅行中の生徒と親しげ対話していたのも印象に残っています。科学館は市民にとってたまに(せいぜい人生で数回ほど)遊びにいく場であるのが現状でしょうが、たとえば図書館に学生が試験勉強しにいくみたいに、気軽に訪れて、コミュニケーションを通して科学技術に対する理解を深める場を目指すこともできるはずです。
科学館だって箱です。大事なのは、なかに何を入れて、どうやって伝えるかです。そういう意味でリアルな剥製や体験型の実験設備だってソフトといえるのではないでしょうか。それを受け取ることで教養を深められるからです。ソフトパワーをまず国内に向けることを忘れてはいけません。文化的な施設ではよく外国人を見かける気がします、そういう意味でも有意義です。サブカルに限らず、日本のもつソフトは案外すごく豊かなんじゃないか、もっとそういうところをみつけたい、と思いました。

大学の誇り

塩谷大臣は科学技術の振興において産学官連携が重要であるとおっしゃる。研究の成果を地域や経済にもたらすにはいろんな組織の連携が必要に違いない。でも、目的意識をガチガチにかためることで「学」に対するプレッシャーになるのでないかという心配もある。もちろん現代においては学府もまた産業におけるひとつのセクタなのだろう。しかし競争的資金などといって研究者を煽るのは、他方では、子どもの科学に対する興味を、などという純粋なメッセージとは温度差がある。
もちろん、そのプレッシャーは学府の健全な活動を促すこともあるだろう。われわれ学問に携わる者たちがこの関係性のなかで自律を失わないためには誇りをもつ必要がある。われわれは資金のために研究をするのではない。国家と産業は研究のもつ価値を見出したから、しかるべき支援をする。間違いなく産学官における出発点かつ中心は「学」である。
よそへの文句は、われわれ自身に対する戒めを裏にもつ。研究のもつ価値を主張するのはだれか。もし国家や産業であるなら、こころざしの貧しさを反省しなければならない。その主張がわれわれにあるのなら、ふさわしい関係性を築く責任を負おう。理想論だ。しかし誇りをもつことに資金は要らない。
有川先生のプレゼンはただの九大の紹介かと思いきや、九大が研究の発展と地域の活性化に大きく寄与していることがわかり、身が引き締まった。産業の手足となるわけではなく、主体的に地域をリードしようという誇りが感じられた。