アレグザンダーの教えてくれた勇気

江渡浩一郎さんの『パターン、Wiki、XP』を読み終わりました。『クリストファー・アレグザンダー』を読んでアレグザンダーに関する予備知識があったせいでしょうか、うおー、すげー!と興奮するほどではありませんでした。しかしアレグザンダーの思想がWikiエクストリームプログラミングに折り重なっていく様子が見事にえがかれています。
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パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則 (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

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アレグザンダーの教えてくれた勇気

われわれは、すごい、やばい、と感じることを知っています。アレグザンダーが建築家として目指したことも、ひとにそう思わせるような建物をつくることでしょう。ふつう、そういうやばさは「全体性だ」とかいってお茶をにごします。「分解しても何もわからない」なんて知ったふりをして。しかし、分解したものを、じっくりと考えて、ほかとの組み合わせを考えて、もっと大きい組み合わせを考えて、とやっていけば、分解をベースにして、かつ全体性のなんたるかをあばけるかもしれない。めんどくさいと感じるでしょう。そうじゃない、全体性の想像力をわれわれはもっている、センスだ、なんてやっぱりいいたくなる。科学的にわからなくてもいい、これはアートだなんて。
アレグザンダーは、分解して、じっくり考えて、途方もない組み合わせをさらにじっくりと考えて、やばいデザインのなんたるかに迫った。これが僕にとって衝撃的なことなのです。僕は「全体性」を「分解だけでは理解できないもの」と思い込んでいた。しかし違った。膨大な組み合わせとにらめっこするなんて、科学じゃないと思っていた。でも、それは考えなければいけない組み合わせがどーんと増えただけで、分解によって考えるじつにまっとうな科学的アプローチじゃないか。つまり、僕の陥った思考停止に気づかせてくれたのです。
つくるために科学した、これにも僕は衝撃を覚える。科学とは因果関係を追究する学問であって、その成果はわかったか、わからないか、だ。ものづくりの学問は工学とよばれる。でもそうじゃない、本当にやばいものをつくるなら、そのやばさの謎を科学で解き明かさないといけない。逆にいえば、その謎が解ければつくり方もわかる。やばい建物をつくろうっていう熱い思いに凍えるほど実直な科学的姿勢で挑む。浅はかな先入観で科学の可能性から目をそらしている自分を恥じた。
デザインパターンをつくることも、ソフトウェア開発の理想的なプロセスを組み立てることも、ある種のつらさを抱えていると思う。ひとつひとつのパタンを考えることはそれほど苦しくないのに、その積み重ねによってゴールにたどり着くことがなぜか途方もなく遠く感じてしまう、という感覚だ。いくら小さな単位から出発して前を目指していても、いつのまにかガタがきてわれわれの常識である全体性にあっけなく崩されてしまうのではないかと恐れる。でも、ほかにどうやって全体性の謎に迫る。
アレグザンダーはGoFに勇気を与えた。単なるパタンの寄せ集めじゃない、組み合わせと全体性を説明できる体系、パタンランゲージをつくったとう実績が彼らに勇気を与えた。アレグザンダーの示したことは、みんなわりと好きな励ましだと思う。すなわち、努力は実を結ぶ。