授業中のおしゃべりは知性を生み出すのか?

タイトルには触れません。
Twitter研究会ウェブ学会と興味深いイベントが盛況していました。内容はいろんなところで記録されまた語られているでしょう。

tusdaる(イベントのテキスト中継)の難しさ

両イベントとも始めのほうでTwitterの利用を推奨することが明言されていたのがおもしろかったです。いわゆるtsudaってくださいということです。しかしこの言葉、@tsudaさんの意図していたイベントのテキスト中継からはだいぶ離れて遣われるようになりました。本来の意味はポスト“Twitter社会論”時代のイベント参加者のお作法(案) - #sfcnoteプロジェクト観察・考察記 by GAB@gab_kenで端的に述べられています。
素人としての経験上、客観性を重視したイベントのテキスト中継はかなりの負担になります。ちょっとした感想をポストしたいときにも区別しなければなりません。内容をまとめるのに手一杯でTwitterのログを追うのも難しいです。こういった性質から、イベント運営側で中継スタッフを用意したり、有志があらかじめ宣言したりすることは有効だと思います。

tsudaる」じゃなかったらなんなのか

tsudaる」という言葉あるいは行為が誤っていると指摘される場面をよく見かけます。たとえばイベントに参加しながら「すげー!」とポストすることです。それはそれで自然なTwitter利用だとは思うのですが、ほかにこれを指し示す言葉が用意されていないのが、tsudaるという言葉がいつまでも曲解される原因のひとつかと思います(もういくところまで曲解され尽くした気がしますが)。
べつにこれを名づけるのが目的というわけではなくて、やはり大部分の自然なTwitter利用というのは、こういう気取らないポストで占められているという現状を認識したいのです。つまり授業中のおしゃべりみたいなもので、たいていはDQNの所業なのだが(失礼)、なかには授業内容について友達と確認し合う場面だってありましょう。そういう小言を拾い上げて補足してくれる寛容な先生もいらっしゃいますね。
Twitter研究会では8000の小言、Web学会では12000の小言が集まりました。某掲示板でいえば8スレ、12スレであり、けっこうな分量だとわかります。

集団的知性をむさぼる群衆の知恵

Web学会で@etoさんが集団的知性と群衆の知恵という概念を対比させて説明していました。ワークショップやパネルディスカッションなんかは専門家の協力による集団的知性を目指したものだと思います。12000を小言した1500人が群衆というところでしょうか。パネラーの発言内容を(本来の意味で)tsudaったポスト群と、群衆によるポスト群をみると、やはり空気が違います。
個人的には群衆の知恵というものに懐疑心を覚えるところもあるのですが、興味ある素人が集合したときにはなんらかの成果につながるだろうと期待できます。たとえば空中戦のときにポストしたかたは空中戦に興味があって有意義であったり無意味であったりする発言をなさっています。パネルディスカッションという集団的知性を形成する場において、そのプロセスに沿って群衆の視点が注ぎ込まれることは強力だと思います。

Twitter

さて、Twitterのログから知性を生み出せるのかということです。
わかりません。
したいですね。