さしせまり

ことを為す意欲について考える。習慣がある。やりたいというきもちがある。やりたい、よりも強迫的なきもちがある。使命感、義務感、危機感などとよべる。また、理念、野望がある。理念、野望は大きく遠い。大事を為す者は理念、野望を抱いているように思う。しかしその大きさ、遠さゆえ、大事を成すそれぞれの小事を為す意欲としては弱いと思う。ギャップがあるからだ。大事は理念、野望に基づくだろう。大事を為す者は大事を成すことを為すだろう。大事を成すことは使命感、義務感、危機感に基づくだろう。意欲は一つの感覚であり、先へ志向する。この方向性が、他の、たちあらわれる感覚との違いに思う。すなわち、さしせまる。やりたいという意欲は足下から上がってくるかもしれない。より強迫的な意欲は向こうから押し寄せてくる。さしせまりを受けとる能力の高い者は、よくことを為すだろう。では、さしせまりに鈍い者は、いかにことを為すというのか。



やりたいことをやるのがめんどうくさいという感覚 - 反言子