NO NAME

「その他大勢のわれわれ」のなかの「われ」。「われ」は「その他大勢のわれわれ」というシルエットが生まれてやっとひとにとどくのであって、「われ」は「われわれ」にほかならない。



映画『舟を編む』を観た。辞書というのは小説や評論の本と違って作者をあまり意識しない。しかし作者はいるし、さらに作者未満とでもいうようなその他大勢もいて完成する。物語で照らすとその他大勢も作者のようにみえる。あるいは逆に、作者相当の功績者がいたとしてもクレジットに載らなければその他大勢と変わらない。かといって謝辞に並ぶ名前の羅列はふつうだれも読まないし、クレジットされてもなおその他大勢かもしれない。

アニメ「AKB0048」には「NO NAME」という言葉が出てくる。アニメ視聴者にとって「NO NAME」とはAKB48グループのメンバーによって構成された9人のユニットである。あるいはそのメンバーが担当する9人のキャラクター(AKB0048の研究生)の総称である。第2期オープニングではその9人のキャラクターの姿が「NONAME」という言葉で装飾されている。

けれど本編ではこの9人のキャラクターが「NO NAME」とよばれることは(基本的には)ない。本編で「NO NAME」は「名もなきものたち」と理解されている。本編において「名もなきものたち」とはアイドルではないひとたちだと思う。視聴者の世界で喩えるなら、アニメ「AKB0048」に対する視聴者としてのわれわれである。