見出しなみ

安いものとまあまあなものの価格差がどのくらいあるいか。たとえば包丁は100円で売っている。危なげなく切れる包丁は2000円で手に入った。26cmのフライパンは、2000円で買ったものと600円で買ったもので優劣を感じなかった。さっき400円のを見かけたがどうなんだろうか。安くてまあまあなものが600円で、それ以下はたかだか(ひくびく)400円かもしれない。鶏もも肉の安い外国産とふつうの国産では3倍ほど違い、優劣はよくわからない。包丁の例が劇的なために「現代では節約によって不便しない生活がまあまあな生活の1/20のコストで得られるのでは」などと思いついてみたが、そんなことはいえそうにない。



本を読んでいる。一冊目はあまりおもしろくなかった。二冊目はおもしろいところもあった。もうすぐ読み終わりそうな三冊目はおもしろい。二冊目のおもしろいところはページの角を折った。こういうマーキングは、していたこともあったけれど、さいきんはなんだかきもちよくないのでしていない。消えない折り目がつくことや、膨れてしまうことが、きもちよくないのだと思う。しかし付箋がいつも万全であることもなく、べつにおもしろくなくてもよいや、という気分で読んでいた本なので、とくに気に留めずに角を折った。するとやはりこれは手軽で、悪くない気がしてくる。読むことをサポートするやり方はいくつもあって、どうでもよい理由でどれかを選ぶけれど、やっぱり変えるということもどうでもよくて、すべての行を蛍光ペンで塗りつぶすようなよっぽどむなしいやり方でもなければ、気ままにやっていけばよいやと思う。このくらいで気構えだと、ページを破って食うというのもそんなにばかげて聞こえない。

テレビ番組をみていた。あまりおもしろくないのだけれど、演出として古くささや低級さを出そうという意図もなくはないだろうとも読み取れる。結局おもしろくないのだけれど、それをみていていやな気分ではない。べつにテレビ番組はおもしろくなくてもよいなあと思った。典型的なネットユーザの弁に、テレビはおもしろくないからみないというのがあるが、べつにネットだってそんなにおもしろいわけでもないし、出版物だっておもしろいものが見つかればラッキーくらいだ。おもしろくないものをみてもよい気分になれると期待できれば、おもしろくないものをみてしまうというリスクに鈍感になれる。作品をただ楽しむという姿勢においては、そのくらいでちょうどよいようにも思う。