還元指向学際学問

学際に関する本とか読んでて、なんか似ている感じがある。
情報学:情報で世の中でみる学問。として、この「情報」はいろいろ置き換えの余地がある。あるひとは「秩序」とイコールで結ぶ。感覚としては、「生命」とか「記号」とか「システム」とか「現象」とか「意味」とか「関係」とか「構造」とか「言語」とか「創造」とかっていうのも、だいぶ置き換え可能感がある。いってみれば「この概念がすごい!」をベースにして世の中を解明するのが、この手の「学」。
科学における「この概念がすごい!」っていうと、「物質」と「エネルギー」。これをベースにして世の中を解明するのが物理学(いまだと「粒子」とか「ひも」とか)。で、その指向を物理還元主義という。「この概念がすごい!」の勢いで、世の中できるだけたくさんを飲み込むのが、還元。「物理学」という言葉には、そういう指向を僕はけっこう感じる(自然科学の王様的な)。
物理学の「この概念がすごい!」にツッコミを入れる代表格が生物学のイメージ(もちろん哲学もだけど)。どうも「生命」の物理還元が難しいぞ、と。だから生物学なりの「この概念がすごい!」を探さないといけない。「生気」とか「有機」とか「恒常」とか、それからシステム論のあれこれの言葉。
っていうふうに、以上の「学」は「この概念がすごい!」という還元の指向を言葉で表した「学」であり、その指向の意志が学際の姿勢なんじゃないか、っていう共通を感じる。だからこれらを還元指向学際学問とでもよんでみる。そのベースを「この概念がすごい!」という変数で表す。
「この概念がすごい!」には相性があると思う。たとえば「記号」と「言語」は仲よさそう。おのずと「意味」や「情報」も近い。これらの言葉って、定義において相互依存している。「記号とは意味を読み取られるもの」とか。
イメージとしては、無数に提唱される還元指向学際学問には仲のよさによってクラスタが形成されて、仲よしなら仲よくすればええやんっていう。俺は記号だから!俺は情報だから!俺は意味だから!みたいなケンカは意味ないね、っていう。でも一方で違うやつもあって、そういうときは対比的に考えればいいねと。
名前の怪しげな「学」を還元指向学際学問と解釈し、その微妙な言葉遣いの違いは、仲のよさで括れる、とでも考えると、ずいぶんと僕にとって学際という言葉の見通しがよくなる気がする。
ところで「環境学」とか「平和学」なんかは、還元指向学際学問とは違って、解決指向学際学問とでいうかな、と思う。学際にもいろんなのあって、近いものはまとめて、違うものは区別して、って考えるのが、学際の見通しをひらく一歩になるかなと思う。



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