「うるせえよ。あとでしゃべれよ」

ライブのときに嫌いなお客さんは、(1)曲がかかっているときに雑談をするお客さん、(2)ステージ上に出演者がいるときに雑談をするお客さん、(3)出演者がパフォーマンス中に雑談をするお客さん、(4)出演者がトーク中に雑談をするお客さん、が嫌いなお客さんです。

(1)はたとえば出演者が登場する前のオープニングSEです。この時点ですでにステージは始まっていると考えます。

(2)はたとえば曲と曲のあいだで出演者がポジションについて暗転して曲が始まるまでの時間です。

(3)は(1)と(2)が同時に成り立っているときです。このときに雑談をしているのはもってのほかだと感じます。

(4)におけるお客さんからの発言は、場を盛り上げることに貢献する場合もあるかもしれません。「こういう発言なら僕は不快にならないだろう」という条件を想像をすると、お客さん同士ではなく出演者に向けられる声であること、ローコンテクストな(誰でも思いつく/理解できるような)発言内容であることかな。


悪質な雑談をするお客さんに隣接したときの自分なりのこころがけ。

まず「聞かないふり(ステージだけに集中するふり)をして我慢する」というのは成功したためしがなく、終始ストレスフルなので諦める。当該のお客さんから物理的に離れることを検討する。ひとが多いと「こんな狭いところを移動して周りに迷惑が」となるけれど、それはもう実際そうだと思うけど、その遠慮の結果「成功したためしがなく」なるのでやっぱり諦める。

離れ方としては、後ろのお客さんが当該の場合はちょっと前に行っても効果が薄いので、サイドチェンジを検討する。前の方の端っこが空いている場合はそこに行く。それが無理そうならもっと後ろに行こうか。そこまでの回避をしたことはないけど。

最初からこのリスクを排除する方法としては、最初から前の端っこ、できれば最前端っことかにいるというアプローチがある。だいたいスピーカー前なので相対的にお客さんの声も小さくなる。

スピーカー前は音が大きすぎて不健康なので耳栓をする。こうするとお客さんの声がさらに小さくなる。世界観が変わるといっていい(ファンのかたの存在感が小さくなり、相対的に出演者の存在感が大きくなる)。ただしファンのかたの声援が聞こえづらくなって、応援のスタイルを併せるのが難しくなるという不便はある。

耳栓の使用感としては、高い音がだいぶカットされて、相対的に低い音が強調されたように感じる。女性ボーカルの聞え方はちょっと悪くなるかも。あと出演者がトーク中に独り言やほかの出演者に軽いつっこみを入れるときのようなマイクを通さない声は聞き取るのが難しくなる。これはふつう聞えないものとして受けとってもいいけど、本来の最前なら聞えるものなのでもったいなくも感じる。


逆に、もし僕が雑談をしたくなったら、という立場で想像してみます。

まず思い浮かぶのが、出演者やパフォーマンスについて疑問が浮かび、それを知っていそうなひとに質問する、というような状況です。これは一見ステージングに関係する発言で悪質ではないのではないかと思いますが、このコミュニケーションの動機は「俺の疑問を解消すること」であって、その思いはステージには向かっていません。ここで解消しなかった疑問は物販のときに出演者に聞いて話の種にできます。よってこの雑談はしないほうが楽しいと考えます。

次に思い浮かぶのが、優れたステージングに対する好感や感動を共有したい場合です。これもまあ同じ論法で、冒頭の(1)〜(4)においては控えておいても結果として楽しさは失われないのではないかと思います。

ただこの辺は正直センス次第というふうに感じていて、感動を素直に言葉にして共有して共感を得て感動を増幅するようなふるまいができているお客さんを見かけることもあるので、この種のふるまいを控えるべきだとは思いません。ただ自分にはそのセンスがないと思うので控えたほうが楽しいだろうという判断です。


以上の文章は、現場で感じた不快感をあたかも冷静に反省しているかのように見せかけた、実際はむかつく気持ちをねちねちといやみったらしく表現しただけの便所の落書きです。

タイトルは、ある日ステージの上から放たれた、僕には言えない言葉。