経理のひとの仕事

経理のひとの仕事を知りたくて、会計の入門書は読んだことあるけど、思ったより(その知識からは経理のひとの仕事が)わからなくて、会計の入門書というより経理のひとの仕事に関する簡単な本というのがここで求めているものだと思ってそういうものを探してみると、会計の入門書"5"に対して、経理のひとの仕事の入門書"1"くらいが見当たる。ただ内容はかぶるのも多く、経理のひとの仕事の年間スケジュールみたいなものが柱としてあるかないか、書かれている順番が知識の体系なのか、ワークフローの順番のなのか、というようなところが違いに感じた。
わからんことを挙げてみる。わからないことというか、わからん、という感想のもの。
借方と貸方という言葉。借方という言葉の意味と貸方という言葉の意味はどういう意味なのだろういう疑問は名前重要の価値観においてはおのずと湧き上がる。親切な本に、「借りる」や「貸す」という言葉とは関係がない、と書いてあって、とてもよくわかっらん。借りるや貸すにこすりつけようとするよりは建設的だが、まだ、ヒ・ダリとミギーのほうがマシでは。
取引は資産・負債・純資産・費用・収益の動きと説明される。この資産・負債・純資産・費用・収益の5つを汎化した概念の名前が書かれていない。国語の抜き出し問題のように考えると「財産など」「簿記の5要素」などの表記が抜き取れる。「勘定科目」は分類体系そのものあるいはその要素の集合あるいはそのいずれかの要素を指す言葉だと思うのでそれじゃない感。
取引には原因と結果があるとかいうやつ。原因と結果という言葉の使い方がエキセントリックすぎる。あげく「原因と結果の二面性」などといわれるとアレアレ〜という感じ。わかりにくい事柄に破綻した言葉づかいの説明を付け加えてぐちゃぐちゃにしないでほしい。ただ、取引をヒ・ダリとミギーの2つに写像可能であるとするこの世界観をいかに説明するかという問題は、けっこう考えがいがあるように思う。
伝票というオブジェクトの必要性、あるいは起票というプロセスの必要性というのが、経理のひとの仕事を知る動機づけとなる大きな疑問だった。世の実情としてどうかはわからないけれど、それをなくすことでワークフローが最適化されるならそうすればよいし、一方で伝統的なワークフロー設計の構成要素としていまだ支持されている、というように解釈した。
会計の知識と、経理のひとの仕事と、それに関する何かをやるという三者の関係について、ソフトウェアやワークフローの工夫によって暗黙的に解決できる部分にどれだけフォーカスする必要があるのか、という違いがあると思った。たとえばワークフローのなかのあるプロセスに「転記」という言葉が使われることがあるが、転記が自動的にリアルタイムでバックグラウンド処理されるとしたら、転記というプロセスを意識することが不要というか、狙わないと不可能で、それは会計の知識としては必要な登場概念だとしても、べつの場面においてはないものとするのが理解フレンドリー。
わかりにくいわかりにくいとうなったものが反復や時間経過によって解消されてしまう事象はままあるものだが、それによってうなりが再生産される構造は気持ちがよくないので、こうやってわかりにくいと自分が思ったものを「これは構造的、根本的にわかりにくいものであって、名前が悪く、説明が悪く、設計がクソ、わからない自分が悪いのではない」とスパイクすることに意味づけする。



小さな会社 はじめての「経理」の仕事

小さな会社 はじめての「経理」の仕事

経理のひとの仕事を知る本としてイメージに近かった。

先輩がやさしく書いた「経理」がわかる引き継ぎノート

先輩がやさしく書いた「経理」がわかる引き継ぎノート

まだ読んでないけどよさそう。丸印とか角印の説明まであるところがバファリンよりやさしい。

はじめて使う 弥生会計18

はじめて使う 弥生会計18

会計知識のうちどこをソフトウェアの機能とdiffして理解から消し込みしてよいのかというのは、経理のひとではない自分にとっては興味。熟れたアプリケーションという感じ。持っていないゲームの攻略本とか読んでたのを思い出した。