解釈されるもの

「Solitude Hotel 6F yume」 – Maison book girl

Solitude Hotel 5F(6/23)ぶりの現場。ライブに来たのではなくライブを観に来た。開演前に座っていて思うのは、今日のこれは現場日記を書けることになるのだろうか。どこを向いている。

鳥の仮面を着けて出てきたのは「出題」の続きのようでよかったです。答え合わせではない。

解釈されるものが充満していることだけがある。全部、日記可能にした途端に失敗することがわかるから手を出せない。無理くさいなと思う。でも、基本的にいつもここから始めている。どこで書いたっけ。→「すごかった」を感想文するときは、まったく言語化の気配を見出せない絶望と、しかしその絶望を言葉にする(その絶望感と戯れる)ことはできるのでは、というモチベーションから出発している。

どうしてこんなに日記不能な状態でも、つまらなくないのか? 「解釈されるものがある」という現象が立ち上がり続けているからかなと思った。控えめにいえば(日記可能に)「解釈できない」と思っている、のだけれど、解釈している。これを「おもしろい」にバインディングしていいかは考えたことがない。

前も思ったけど、ICCに来たかな?感。fMRIのやつは「ジャグラー」に重なります。実際の音を知らんのだけれど。サンプリング先しかわからないというのもおもしろい。

メンバーがOHPのようなものをステージに持ってきたところOHPだった。「アイドルのライブでアイドルがOHPに写真を並べたり重ねたり動かしたりして映していた」って言いたい。

ドアからスクリーン全体に飛沫が広がっていくところが、ドアのところがぽっかり真っ黒になっているのが不気味でよかった。開演前に「ドアがあるなあ」(背景の真っ白な壁にドアがあってその輪郭が黒い矩形としてはっきり見える)と気を取られた箇所なので、「ドアがある」注意が演出に取り込まれるのは意表を突かれた。

アルバム「yume」は聴いていなかったので、初めて観る曲があった。「ボーイミーツガール」

ぎゃああああああ、かっこいい!!!! アイドルがやってそうな曲。さっきまで「解釈されるもの」とか外堀歩いてるのはなんだったのか。かっこいい。

30kbpsくらいの映画みたいな映像もかっこいいです。いまどき、このように作られた映像を観るくらいしか、このような映像を観る機会はなくて、これからのひとたちはこのような映像を生涯観ることがふつうはないだろうなあと思った。

同じく「影の電車」もよかったです。

メンバーの感想は、まあ遠いし、前回と同じというか、和田輪さんの存在感がやっぱりうそくさくて、夢的なものや病床的なものに馴染むなあ。矢川葵さんは肩と脚が出ていてかわいいなあ。などと思った。

しゃべるやつ(ポエトリーリーディング)がよくて、聴くことをした。物語は作者が演者が、の側がやってほしいという欲求がある。間違っても「僕たちが応援するという物語」のたぐいは注文しない。ステージに閉じてほしい。宿題は冷凍する。

MCまでないのはおどろいたが、アンコールも「みんな立って〜」みたいなやつもなくて、サービス精神がすばらしかった。