上位/下位の関係がない個人ニュースサイトの平面的有機体における情報流通は終わりなく波のように漂うのは個人による価値観に違いがあるため善悪はつけられないのですが自分のサイトに込めた関心や自信はほかのサイトにもそれぞれの送り手によってきっと込められているということを意識することで読み方が深まるでしょうからたとえ客観的に情報の質を高めようとはしなくとも相対的に価値をみる視点というのは大切だと思います。

幾多もの個人ニュースサイトが一日に何時間をも費して運営されている。その幾多もの個人ニュースサイトはほかの幾多もの個人ニュースサイトを訪れることに何時間をも費やす。なにか時間を食いつぶしあっているように思える。
ある個人ニュースサイトが100の要素から成るとする。ほかの100の要素から成る個人ニュースサイトを100ヶ所訪れることで要素が満たされる。100ヶ所の個人ニュースサイトに満たされた、(平均して)それぞれ99の要素が失われたではないか、と──しかし、100のうちから優れた1をふるいにかけたのだ、と反駁できる。そこから生じる優れているべき100の要素も、ほかの100ヶ所の個人ニュースサイトから100回にわたり99を削ぎ落とされる。こぼれた砂をざるですくいあっているように思える。