「なぜやるのか?」について

文書のテンプレートに「目的」「変更理由」「Why」などという項目があったとします。これは何を書くところでしょうか。

このような項目への答えを考える観点をこのように分けてみます。

  • 問題
  • 原因
  • 動機
  • 目的
  • 価値

目的

4つ目の「目的」から考えます。これが「なぜ」への答え方としてもっとも一般的だと思うからです。

ふつう「○○の目的は?」と聞かれたら「~のためです」と答えます。「~」には「達成したいこと」が入ります。

「なんでやるの?」と聞かれた場合、たいていは目的を答えれば会話が成り立つと思います。

価値

「価値」は、目的を達成した状態が実世界にもたらすポジティブな意味を表します。このような難解な定義を試みなければならないように、社会的なニュアンスを感じます。

「本当にそれをやる必要があるのか?」が問われているとき、たとえば承認者に企画を通すような状況で、価値を説得することは重要です。

動機

逆に「目的」を個人化したものが「動機」といえるのではないかと思います。なぜ自分が目的の達成を望むのかという欲求の説明です。

問題

「問題」とは、現状における何かしらの悪い状態だと考えます。(現状と理想のギャップを分析するのはあくまで問題を分析する手法であって、問題そのものは「悪い」という意味を持つことが本質と思います)

「なぜやるのか?」という問いへの答えで「問題」だけを答えても言葉足らずかもしれません。ただ、その背景には問題がいかに問題であるのかが問われます。それがいかに悪いことであるかが、「目的」の妥当性や「価値」の裏返しだからです。

原因

「原因」は、「問題」の状態がどのように引き起こされたかです。

「なんで起きたの?」というかたちで問われたときは原因を答えることになるでしょう。これも「なぜ」のひとつではありますが、技術的な側面であり、「なぜやるのか?」という文脈においては副次的なものです。

例として「ウェブサービスを退会しやすくする」という変更提案を考えてみます。

問題は、退会したいユーザーが苦労しイラつくことです。怒ったユーザーがSNSで批判してくるかもしれません。

原因は、表面的には退会ボタンがわかりにくい場所にあるからです。その背景には「退会しやすいと解約率が上がる」という不安があるかもしれません。

動機は、自分たちのサービスのダサさへの怒りかもしれませんし、将来的な規制やユーザーからの批判への不安かもしれません。

目的は、立場によって変わりますが、ユーザーが最後まで気持ちよくサービスを利用できるようにすることや、ユーザーの復帰率を上げることなどが考えられます。

価値は、人間の意思を尊重するという誠実さかもしれませんし、事業を長期的に繁栄させることかもしれません。

「なぜ退会しやすくするんですか?」

この問いへの答え方は状況によって変わります。相手が解約率の上昇を恐れる経営者なら、誠実さだけで説得を試みても難しいでしょう。

考え方

「なぜやるのか」と問われた場合、多くは「目的」を答えればよいでしょう。

企画段階や承認者への説得というシチュエーションでは「価値」をより重視する必要があります。そもそもの「問題」認識が適切かも重要です。

雑談や個人的な面談などで背景を伝えるときは「動機」を話すといいでしょう。

目的の達成手段を考えるうえで「問題」と「原因」の分析も重要です。


参考

  • Questions (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
    • why は単に一種類の「理由」を尋ねるのではなく、文脈によって causal factor(因果的要因)justification(正当化・根拠)purpose(目的)motive(動機)function(機能) など、異なる種類の説明を要求しうると整理されています。
  • Reasons for Action: Justification, Motivation, Explanation (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
    • 行為の reason(理由) を、行為を支持する normative reason(規範的理由)、本人がそれによって行為する motivating reason(動機となる理由)、行為がなぜ起きたかを説明する explanatory reason(説明的理由) に区別しています。
  • Aristotle on Causality (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
    • アリストテレスの四原因、すなわち、何からできているかを説明する material cause(質料因)、どのような形・構造であるかを説明する formal cause(形相因)、何によって生じたかを説明する efficient cause(作用因)、何のためにあるかを説明する final cause(目的因) という区別を解説しています。

問題のテーブルの上でバナナを売る

商売は「客の問題を解決する行為を提供すること」という枠組みで解釈できる。おにぎりというアイテムや電気料金の振り込みというサービスを提供する便利なお店があるとする。客はそれによって空腹という問題を解決したり、このままでは電気が止まってしまうという問題を解決することができる。

いつものようにスーパーで買い物するとき、問題を解決しようとは考えない。今日の夜に食べるためのものを買うのかもしれないし、それ以外のものも買うかもしれない。この買い物をしなければ「今日の夜に食べるものがない」「あるもので済ませるために極めて強い制約下で献立を考えなければならない」または「結局買い物に行かなければならない」などの問題が生じる。この問題を予防(未然に解決)するために買い物に行くのだ。などとは思わない。しかし実際に問題は予防されてしまう。合理的ではあるが、合目的的ではない。これは生活だ。

商売人は客の生活を切り取って問題のテーブルに乗せる。勝手に問題にするな。

しかし「問題のテーブル」などあるのだろうか。この怒りの正体はなんだろうか。

それは、生活的知性を理性的知性の枠組みに取り込むことにあるのではないか。これらは独立の価値を持つものであり、それを一方で包括しようとすることに知的傲慢さを感じるのだ、などと仮説してみる。生活的知性とは動物的・実践的・経験的な知性というイメージだ。すべてを論理的・記述的に説明することはできない、理論とはまた別の背景を根拠に持つ知性。「まだ理論にできていないもの」ではない。もちろん理論にできる部分もある。しかし本質的に理論になりえない部分がある、いやあってほしいという願望がある。この願望が攻撃されることへの怒りではないか。

この願望を守る態度は謙虚さだ。問題解決フレームが知の万能器であるなどとは到底考えないが、それでもこの道具を使うことで得られる知性もあると信じるから使うのだ、と。しかし道具として使っているときにそんなことは考えないだろう。これもまた健全な態度だ。そう考えると理性的知性を使うことが実は生活的知性なのかもしれない(この解釈によって生活的知性の地位を高めないよう注意しながら)。

インターネットの人

インターネットは人間が使うものになり、インターネットというところはなくなった。かつてはインターネットというところに行っていたであろうひとたちがいまはどこへ行くようになったのかという問いはなるほど興味深いがわからない。

ではかつてインターネットというところに居たひとたちはどこへ行ったらよいのか。インターネットしないことはその候補になる。

SNSはべつに人間を幸福にしないしなんなら不幸にしやすいが、それを知ってもべつに人間はSNSするのを辞めないというのが現在の人類の学びだとして、SNSしないという選択は理知的だ。その実践者をイデア陰キャとでも呼んでみる。それは、内向的な性格特性を強めに持つひとで、自身のその特性と自身にとっての幸福を理解し、その実現のために行動する知識と習慣をもつひとである。

惜しむらくは、その完成度ゆえにお手本として観測することが難しい。その知性を伝道するなら、その行為がその内容の本質を損ねることにならないよう慎重を期す必要がある。純粋な内的な価値を純粋に伝達することはできない。

この文章は一滴の目的しか持ってはならない。「そういうのがあるなら、こういうのもあるかもしれない」ほどの、ないようなものでつなげなければならない。ないようなものだから、やがてなかったことになってくれると願って。


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