インターネットは人間が使うものになり、インターネットというところはなくなった。かつてはインターネットというところに行っていたであろうひとたちがいまはどこへ行くようになったのかという問いはなるほど興味深いがわからない。
ではかつてインターネットというところに居たひとたちはどこへ行ったらよいのか。インターネットしないことはその候補になる。
SNSはべつに人間を幸福にしないしなんなら不幸にしやすいが、それを知ってもべつに人間はSNSするのを辞めないというのが現在の人類の学びだとして、SNSしないという選択は理知的だ。その実践者をイデア的陰キャとでも呼んでみる。それは、内向的な性格特性を強めに持つひとで、自身のその特性と自身にとっての幸福を理解し、その実現のために行動する知識と習慣をもつひとである。
惜しむらくは、その完成度ゆえにお手本として観測することが難しい。その知性を伝道するなら、その行為がその内容の本質を損ねることにならないよう慎重を期す必要がある。純粋な内的な価値を純粋に伝達することはできない。
この文章は一滴の目的しか持ってはならない。「そういうのがあるなら、こういうのもあるかもしれない」ほどの、ないようなものでつなげなければならない。ないようなものだから、やがてなかったことになってくれると願って。


