リバ:本音/建前

本音と建前は簡単に入れ替えることができる近しいものだと思う。

「みんな本当はお金のために仕事している」というありがちな「本音」がある。これは、仕事にお金以外の価値を見出しているひとが、まわりのひとへの人情的配慮のための建前としても使うことができる。仕事がまあまあ楽しいです、仕事があるおかげでそれがないときよりもいくらかしあわせに生きられていると思います、仕事で苦しんでお金のためとでも思わないとやっていけないようなひともいるのに、自分はそれと比べてしあわせでごめんなさい、どうか言い訳させてください。「仕事は社会貢献や自己実現をとおして自分の人生の価値を高めてくれる、いきがいの一部です」が彼の本音だ、まるで建前のような。

「ひとのためになりたい」が建前で、「自分さえよければいい」が本音? 自分はいいけれど、自分の目が届くまわりのみんなは不幸です。このようなときにこころから「いい」と思えるメンタルの持ち主は少ないと思う。素朴には「みんないい」と「自分もいい」。だからみんなのためになることをしてみんながよくなることが、自分が気持ちよくなる王道だと思う。

そこで「そんな都合のよい方法はない」という批判が天から降りてくる、いかにも本音的な。多くの問題を一度に解決するエレガントな解決策は難しくて、小さな一つの問題を解決する愚直な解決策は簡単なのか? 後者の積み重ねによって大きな問題を解決するシナリオを想像するほうが難しいとも思う。エレガントな方法こそが「現実解」ではないかと。

本音は建前の批判にみえて、建前は本音の批判にみえる。ここで本音と建前が一致すると自己矛盾だと感じる。「本音と建前が一致するなんて都合のよいことはない」という天からの建前に不安になる。重大な問題を解決するには本質的な解決策をとるしかなく、それこそが現実解だ。それが本音だと思っても、それは建前だという天からの建前は常に降りつづける。