人間力

レジでまごつく老婆。白い杖が目に入る。それだけで、こんなに動揺してしまう僕っていったい。べつに僕がレジに立っていたわけではない。ただ、目の前にいたというだけだ。ところで、父は趣味で手話サークルに参加している。失礼な言い方を承知だが、だからその手のひとと接することも多い。それがどれだけすごいことか、僕はその微塵ほどしかわかっていないだろう。
賢さとは何か。賢さというパラメータがあったとして、その最大値を引き延ばすことが目的なのか。賢さは考えることによって成り立つとする。ならば、考えなければならない。考えられないということは、賢くないというより、賢さという尺度が成立しない。考えるべきときに考えられる力が人間力である、と考えてみる。あるいは、こころの強さ。
賢くなる方法は合理化できる。量や準備によってもごまかしが効く。しかし人間力は経験にのみよる。その変化は定量化できない。できるのかもしれないが、そのためには勇気や優しさといったこころの要素をまず定量化する必要があるだろう。そして人間力にはさまざまな側面がある。考えるべきときに考えられないこと、つまりこころの弱さが発生しうる、あらゆる状況が個々の人間力を照らし出す。いってしまえば、無限。
子育てや、恋愛、電車で席を譲ったり、道ばたで転んだひとに声をかけたり、つまりは愛というものが関わるあらゆる事態が人間力を問う。僕はどれだけ子どもに対する人間力が欠けているだろう。いったいどういう経験によってその穴を埋められるのだろう。そうする意思が、果たして僕にはあるのか。ほかのさまざまな状況において僕は動揺する。賢いということ、未熟であるということ、それすらをも問えない状況にいつも追いやられる。さて、僕は賢いか――なんという愚問。
そんな大げさな話にする時点で自尊心を自覚せずにはいられない。ただ、そこにひとがいるだけで、僕は賢さを失うことだってある。しかしそう考えると、人間力とは多角的でありながらも核を貫いた尺度なのかもしれない。いいや、それはもっとも基本的に過ぎないということだろう。そのことを、僕は未熟であると、反省することすら浅ましい。
こんなにも、僕は弱い。

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