僕は決意をしない。

特定の領域、条件においてさえ、正しいことはいくつもある。選択は代替に満ちている。どれでもいいのだ。
決意をしない。それでもいいけれど、そうでなくてもいいのだ。どちらも正しく、その選択は取りとめもない。ましてや悩むべきでない。
その領域、条件において、より正しいと評されているのなら、なすがままにそちらを選ぶ。どちらも正しいが、都合の良い選択のほうが無難であるからだ。無難であることは多いほうが良い。無難でありえないこともあり、そちらこそが見据える対象なのだ。そこに選択は、ましてや代替はない。選びようもなく選ばれているものは、すでに明らかである。
代替に満ちている。僕は決意をしない。