「わたし」という「情報源」をひとに薦めよう!

(はじめに断っておきますけどね、この見出しは本文において一切消化されていません。毎度ありがとうございます)
これからは情報の価値がどんどんと貶められる。情報ニヒリスティック時代。情報を切り捨てる技術の時代がくる。そのためには価値のない情報を判断する技術(カガクギジュツのほう)が必要だ。逆様に、価値のある情報を判断することが重要で、結局、情報の価値を判断する技術という課題が残る。

それはまあよい。さて適当な話をしようと思う。こころして読め。おれさまの日記だから。
本はまあ、読むほうだ。一般的な高校生と比べたら、読むほうだ。その一般的な高校生とやらが何者なのかは気になる。女の子なのか?
読むほうなのは級友たちもそれとなく知っていて、じつはウェブのほうをよく読むことはひたかくしにしているし、そういう文脈が提供されれば、ごく自然に「ブログ」とか発音するように心がけているというのも、たとえば『生協の白石さん』は一般にも受けているのだなあまったく。
あるときのこと、級友が尋ねた。たぶん、尋ねた。記憶を手繰り寄せる。
「ふだんどのような本を読みますか。また、とくに感銘を受けた本、あなたがひとに薦めたい本などについて述べてください」
さいきんあらゆる「問い」が面接官口調になる。なにこれ。面接なんてない。一般入試だ。カカカ勝ち組みのほうだ。
面接官口調であろうが、なかろうが、僕はそういう問いに答えづらい。というのも、僕は「おもしろい」ことに対して懐疑的だからだ。いやまあもち、もち、おもしろさには大いに価値があると思っている。実際、僕はいろんなことをおもしろいと感じ、そうやっていろいろなことをやって、いろいろに成長している。それ、彼にわかるのか? ていうか、彼らの「おもしろい」がわからないから、僕のも、彼らにはわからそうだよね。でもまあ級友の彼ってのは、けっこうわかるほうかな、と思う。まあ、もっとわかる級友もいるんだけどね。
「尊敬するひとはだれですか。また、なぜですか」
本来ここで段落が変わるのですが、これはコーヒーブレイクの問いです。では、答えましょう。絶望先生です。なぜなら絶望した!
ごきげんよう*1。ひとに本を薦めるのは難しいことです。趣味はひとそれぞれですし、そもそも一般的な高校生が本に興味をもっているのも定かでありません。ですから、「これがおもしろいよ」と薦めるのは戸惑います。「哲学」という言葉だけで引いてしまう高校生って、けっこういる気がしますというのは、僕の考えすぎでしょうか。けど僕、恋人の評価ポイントに「考え方」というものが含まれるのに納得がいきません。哲学って言えよ。なんで言わないの!? 「彼に影響を受けた」ってなんだよ。哲学したんだろアンタ。あっちゃ、空前の哲学ブームじゃんこれああ盲点。
関心の違い(という推測)から、ひとに本を薦めるのは難しい(振り出しに戻った!)。こういう言い方はどうだろう。「○○出版社の□□シリーズがおもしろいよ。いろんな分野があるから、興味があるのを読んでみたら」
いまいちだ。はじめに思いついたときは最高の言い回しに思えたのに。
これは情報源を薦めているということだ。情報を薦めることとの違いは、相手に選択の余地があること、情報可能性があること、だ。僕はよくおれ用語で「──可能性」っていうのを遣うんだけど、とくに決まった意味はないです。ここでは「まだ顕在していない情報が、その情報源からこれから産出されるかもしれない」というほどの意味です。

  1. 相手に選択の余地がある。
    • 「わたし」にとっての「おもしろさ」という価値が最大化される。
    • 完全消費または一度の大量消費が難しい。情報源は「消費対象そのもの」ではない。
  2. 情報可能性がある。
    • そのうち好きになる(「好き」というのは、恥ずかしい意味で、だ)。
    • 不変の情報源から新鮮な情報。「安定」と「斬新」が共存する。

これらの特徴から、情報を推薦することと、情報源を推薦することは、別物である。そんで、けっこう良い感じだと思います。情報源のほうな。
だもんで、記事を薦めるのとサイトを薦めるのは、似ていることもよくあるけど、基本的には別のことなんじゃないかしら。もちサイトというのは情報源のほうね。

僕は好きなサイトいっぱいあるよ((それほどないけど、恥ずかしい意味で好きなことって、そんなに数ないのがふつうだしね。「恥ずかしい意味で」の意味は、定めかねるのですが。))。まあけっこうあるから、いま、わたしのとこかな、と思ったひとは、たぶん当たりだと思うよ。いや、「わたし」という一人称に他意はないよ、ただ一般的だと思うから遣っただけだよ。で、けっこうあるんだけど、やっぱこれらも、ひとに薦めやすいものではないのな。うーん、たしかに、情報としての価値がちらちらと目に差し込んで、それが何度も繰り返されたから、情報源として好きになったんだよ。恥ずかしいね。でもだからといって、僕の好きになった情報源だから「きみにもおもしろいよ」と薦めるのは、やはり気が引けるなあ。

おれさまの日記。とりとめないね。でも、けっこう興味深いテーマがこぼれているかもしれないよ。僕はそう思うね。もうちょっとまじめに考えてもよいこともしれない! 情報と、情報源。おもしろい。好き(恥ずかしい意味で)。など、だ。

*1:段落が変わることをごく自然に示した巧みな表現です。マル。(赤ペン先生