mp3プレーヤ共栄圏

おまちかねだおまえら。きょうもきをふしさまの日記がはじまるぞ心して読め。

おれさまはmp3プレーヤを購入した*1Amazon.co.jpのアウトレットCreative MuVo MICRO N200 256MB ブラックである。もともと6ぎがばいとのパソコンを使っているおれさまである。アイなんとかみたいな現代志向の機器や環境など求めない。型落ちであろうこの機器で、おれさまは大いに満足している。
(一部のひとには有益であろうレビューを書く。)保証しかねるが「SE」でない「Windows98」でも動く。この機器を認識するためのドライバだけはインストールできるようだ。付属ソフトは試していないが、音楽はドラッグ・ドロップだけで入れられるので問題ない。付属のUSBケーブルはそれなりの長さで、背面にUSBポートのあるパソコンでも問題ない。「mp3プレーヤは欲しいけど98SEじゃないし……」というひとで、かつアイなんとかみたいなスゴゲなのでなく「とりあえず」持ってみたいひとには、うってつけである。というか、ふつう98SEでなくても認識させることはできるのだろうか? その他の詳細は公式サイトを参照されたい。
ボイス録音ができるが、座談などを録するのは難しそうだ。マイクのようにして個人で吹き込む分には問題ない。英語などの学習に使おうと思う。というか、おれさま、音読とか吹き込むと情けなるぞ。中学生のころは塾でよく音読・暗唱をしていたものだが、改めてやってみると勘が鈍ったのを実感する。
音読の効能はよく語られるが、英語の学習においても当てはまるだろう。「発音上の区切り」を意識することで「意味上の区切り(文法、構文)」の理解につながる。「読む」ことに「発音する」「聞く」側面が加わり記憶が促される。「発音」を試みワーキングメモリに負担をかけることで「読む」ことに慣れる(『スランプ克服の法則』)。
また、おれさまが実感するのは「音読をするだけで、自然に、ある程度、集中できる」ということだ。ここに「録音する」という「目標」を添えたとき、その集中はよりスマートになる。音読そのものの学習効能は定かでないが、この点から、おれさまは音読および録音による学習を試みようと思う次第である。
それにしても、おれさまのしゃべり方、微妙だなと思う。こんなことではだれかと会ったとき「なんだ、きをふしってこんなやつか」と失望されてしまう。おれさまは「優雅(上品でみやびやか)な物腰」に強く憧れている。「しゃべり」の向上はおれさまの自己実現において欠かせず、けれどいま大いに欠けているものである。ところで、おれさまがいくら「しゃべり」に向上しようと、ウェブ上で文章を介する限りは伝わりようがない。いまのところでは幸運なことである。
ポッドなんとかというやつにも興味をもっていた。「RSSベース」というキーワードはかねてより目にしていた。アイなんとかと連携することで自動的に購読できるらしく、なるほど取り沙汰されるほどの便利さではある。アイなんとかを使うすべもないおれさまは、ポッドなんとか対応のRSSはてなRSSに登録してみた。mp3ダウンロードアイコンが表示され、そこから直接音声ファイルを取り込めるようだ。めぼしいものをMuVoにダウンロードした。わくわくである。パソコンだとなかなか聴けないものを(おれさまは「読み」ながら「聴く」ことが苦手だから)手軽に聴く機会をもてて、よいなあ。
このわくわくの正体は、まなざしの快楽 - デジタル製品を買うとなぜわくわくするのかの説明とまさに合致した。「説明できない、けれど強い何か」を「説明できる」ようにみちびくとき、哲学的文章の価値をまざまざと実感する。哲学はそれ自体がおもしろいのはない、と思う。「とうてい哲学的とはいえないあいまいな何か」をいだくことで、はじめて哲学をおもしろがれるのだ。というのは軽率な思いつきであるなあ。おれたちが往々に「理屈」に対して渋い顔をするのは、はじめから「理屈」に面しようとするからだろう。「理屈でない何か」が強ければ強いほど、じつは「理屈」への関心もより強くなる。まったく、説明尽くしの理屈漬けでうんざりするのも無理のない話である。

*1:関連情報はおれさまのはてぶ[mp3プレーヤ買ったよ!]タグにあるので、興味があれば参照せよ。