「電波ソング」という文脈から引っぺがして抽象化した萌えはおぼろげになることは否めない論考
こんな女の子がすてきだ、という話をしましょうか。いわゆる萌えである。記号化甚だしい昨今、やはりわたくしも、それを「活ネガ」と命名してひそかに愛でておるものです。「活ネガ」とは何か。「ネガティブ元気少女」を略したものでございます。「活」というのは「活き活きとした感じ」を意味し、「元気」とほぼ同義であるということで、こう名づけました。
そうです、わたくしは「ネガティブ元気少女」がすてきだ、と萌えるのです*1。あるいは「元気ネガティブ少女」といってもかまいません。「ネガティブ元気」と「元気ネガティブ」のどちらがどうかというのは、定かではあらねど、いささの異なりをかもしていて、決めかねる次第です。
そもそも、わたくしはどのようにして「活ネガ」に魅力を萌えたのか*2。それは、とある電波ソングでした。曲名は濁しておきましょう。それぞれに、それぞれの当たりがあると思うからです。さてその電波ソングですが、とても悲観的です。歌詞だけ読めば、どんよりとさせます。けれど、歌い手の女の子は、とてもとても元気に歌うのです。活き活きと、悲観するのです。わたくしは戦慄を萌えました(「戦慄」とは不適切でしょうが、ほかに言い表せないのです)。
わたくしはこの萌えを「ネガティブ元気少女」という記号に収めました。
- 「活ネガ」とは何か。
箇条書きしてみましたが、わたくし、手詰まりです。また会いましょう。ごきげんよう。