典型的にメタなサイト論ですが(笑)

サイト論というからには、こまごまとした事例や感想よりも、論理的にまとまりがあり対象の明らかな主張のほうがよい、と思われるかもしれない。なぜなら、と考えてみるに、そちらのほうが「一般的」であるぶん、批判としてより広い範囲に効果を与えるからだ、というふうだろうか。抽象によって批判に磨きをかけようというのだ。また視点を替えてみれば、教育は僕たちに「批判に抽象をこころみて読解する能力」を養わせる。言説はシャープでスマートな感じがよい、という印象はだれもがもっていよう。
実際の話、サイト論というのは同じ話題が同じ主張により同じ展開で繰り返されている。理由は、述べる当人にとってはおもしろいからだ。応える当人にとっても。一部の物好きなひとたちにとっても。これはとても幸せなことだと僕は思う。だから大いに結構だ。僕だって、その一部の物好きなひとたちに含まれるんだから(笑)
ただ、いいかげん飽きてこよう。そんなに賢く話さなくてもいいよ、と思うようになった。それ程度に賢い話は、過去に何度も繰り返されているのだから。論理ってもんは、「繰り返されるのが正解」だからね。だから、天下にはびこる「不毛な」サイト論ってのは、なんだかんだですべて正解だと思う。というか、サイト論ってもんにはたして「間違い」があろうか。「絶対に納得いかない主張」「だれからも賛同されないわがまま」があっても、僕のような物好きの手にかかれば、いくらでも正解のレッテルを貼ってやれるぜ?

それでまあ、正解と間違いの二元論なんてものをもちだすつもりはない。つまり、こうだ! きみは物語れ。抽象は、おれにやらせてくれ。

どんな物語も論理というさやに収めれば斬れない。使い古されてサビた刀もまた。(問.いい感じな比喩でこの文章の続きを書いてみよう)







追記:ピクシーズ