それはツンでれでない

ツンでれはひとつの描写に収まらない。
ツンとでれは別なもの。
風潮としては、ツンからでれへの移行という要素は薄れた(いったんデレ化したおんなのこは、もはやツンでれキャラとしては認められないのではないか。たとえば、「内藤くんにずっとでれでれしかしなくなったツン」を、VIPPERはツンでれと認めようか。ただ注意すべきは「ふたりっきり」というスイッチをもとにした可逆性のツンでれである。しかしこれは、むしろツンとでれの境界をより明確にするものとみれる)。
この際、ツンでれをツン/でれときっぱり捉えて、
高校国語の大黒柱である二元論の領域に組み込むべきではないかと思う。
今年のセンター試験は、
評論が「ツン/でれ」の二元論を生地したコミュニケーション論。
それで、小説には挿絵がついてくる。