サイト論はヌルイのか?

僕はよく個人サイト論(個人・サイト論)の重みを考えるときに、人生論とか幸福論といったものを引き合いにだして、その深みを見出すのだけれど、そういった人生論や幸福論で、かつ個人の範疇に留まる哲学をヌルイといってしまえば、それに準じた個人サイト論をもまたヌルイといわざるをえないなあと思った。