ならばわたしは狂気でありたい

この世界に狂気なるものがあるのはおおむね納得いただけるであろうと、一切の根拠なしに断言して思ったことを綴りはじめる次第でございます。狂気は、ひとに関する大切なこと、一般にそう思われる観念にごくちかいところ、隣であったり、裏に、しばしば姿を潜めるものです。これが狂気の魅力です。魔眼に魅せられる所以かもわかりませんけれど。
ひとはさまざまです。狂気に拒絶を示すこころを、きっとたくさんのひとたちがもっていましょう。これは個人的な感情ですが、僕は、そういったひとたちのこころは狂気から護られるべきであると思います。もちろん、そういったこころを狂気で侵すことに興奮を覚える性癖を、僕はもちあわせてございますが……。そんな欲望は虚構において満足させるに済みます。
以上は僕に関する話であると同時に、たいていの状況において切実さをともなわないつぶやきであるのは否めません。きみとぼくに狂気がまとわる状況など、それこそ虚構においてのみしか成り立たないのではないか。そうだ。どこだ。ここは。
狂気をみた。に触れた。と化す。わたしはこちら側。こちらというわたし。あなたのこころを完膚なきまでに護り尽くすため。