さいきん考えていると

これは言葉にできない思念なんじゃないかって思う。でもそういうのを言葉にしていたこともあったのだろうかなんて思って、結果論として逆算することでしか計りえないのじゃないかとも思ったり。こころの動きを辿るっていうのは物語だから明解な説明化なんて危うい。言葉で語るとき、そのときが、その言葉の指すときでないこと、という性質はさいきんかなり厄介に感じる。ライブ的な盛り上がりっていうのは実時間と対象時間がまったくのラグなしに共鳴して増幅されるからだろうなあ。