思い出すスピードで生きていく

記しそこなった夢の刻印は二度と目にかからず時間の藻屑に散る。
さいきん、恐いことが多い。わからないことが恐い、考えつかないことが恐い、思い出せないことが恐い。わからないことはそれほど嫌いではないが、学生という身分上、わかることを義務として与えられることもしばしばなので。とすると、わからないことは学生としての失格、あるいはひとにきくことで解決を試みる、という唯一の救済に強迫される。どちらかというと、これが恐い。ひとにきくことが恐い。
考えつかないことが恐い。いいや、たいていのことなど考えついているはずなのだ。考えついたから、より考えたり、書いたりする。その段階において言葉が生じないことが、恐い。わかっているはずなのに、これに適した図式が、文法が、観念が、この狭い世界において姿を見せない困惑。言葉探しの旅? どうしろと。そうして、できそこないの言葉たちが身を沈めていく。
この狭い宇宙を駆けるインパルスは一過で一回の軌跡。刻一刻とわだちは紛れていく。振り返れば、踏みしめた感触がからっぽの大地をすり抜ける。あったはずのものがない。では、記録すればよいのか。だが、記録は軌跡を狂わせるのではないか。その場限りの、取り戻せない、個なる歩みがぶれることはないか。
解決されるような問題は解決される運命から逃れるすべを得ない。それは記述可である。すなわち形式であり普遍であり財産になる。だから望まれて求められて貪られる。そうではないところ。ああ、なんの期待にも添えない。
ひとにきけばいい。最終手段として傍らに置いて気持ちを支えればいい。言葉は生まれる。言葉でしかつくれないものでしかつくれないものを言葉でつくるのは難しい。探求するしかない。仕方がない。
一過で一回の個別なもの、一個性。あったものが気づけばなくなっている。無数の一個性が精子のように大量死していく。この場この時のこの此が。言葉の切れ端で印を刻むだけでもいい。足場になるなら、ただ踏みしめるだけでもいい。できることなら言葉でつくる。
問題は面なのに、解消は点なのだ。だから過ぎやすい。そしてもう、過ぎていた。だから説得力がない。これから、なんて言い逃れは拙いけれど。見出しを消化できなかった……。