よきユーザでありたい

まえがき

2011年5月14日に日本Androidの会 浜松支部 第一回勉強会があるので、

#jaghamaAndroidマーケットのレビュー」をネタにLTしようかなと考え中。Wed Apr 27 07:53:52 via twicli

なのですが、「そういえば以前にもこういうことを考えたような?」と思い出して調べたところ、以下の文章が未投稿でしたので、いま掲載します。

よきユーザでありたい(2010年8月20日執筆)

Androidマーケットを利用していると、アプリケーション開発者への見るに耐えないコメントを見かける。動作しないことを低評価の理由にすることは不自然に感じる。もちろんその時点におけるユーザの不満はわかる。けれど、ある意味でアプリケーションを利用していないのだから、評価の入り口に立っていない。改善につながる報告ならばよいが、単なる文句ではつらい。
評価は1つから5つの☆をつける。☆をつけなければコメントできない仕組みになっている。だから、動作しないことの報告あるいは文句が「☆」になってしまうのは仕方がない。こころないユーザが悪い、と罪を着せるのは短絡的だ。
僕がどのような基準で☆をつけているかを考えみる。こんなものは後づけでしかないのだけれど、だいたい、コンセプトが3点満点、機能が1点満点、使い心地が1点満点で採点していると思う。本当に、こんなものは後づけであり、実際は、気に入ったソフトに「☆☆☆☆☆」をつけたいという思いでこの評価の仕組みを利用することがほとんどだ。
評価をつけるとコメントができる。コメントがしたいという思いで評価をつけることもある。できるだけ、よいところを伝えたい。しかしときには個人的な改善を求めたいのも本心だ。それでも現状でよいソフトには違いないから、「☆☆☆☆☆」をつけて改善を求めたりする、あるいは改善が自分にとってクリティカルであるなら「☆☆☆☆」にとどめる。「☆☆☆☆☆」をつけて、改善を求めて、改善してくれると、☆を5つしかつけられないのが申し訳ない。
n段階評価はうまくいかない、ひとはよいと思ったものしか評価したいとは思わない、とは聞く。同じように、悪いものへ不満を伝えたいという思いも結果につながってしまうのだろう。
評価は役に立つのか。たとえばAmazon.co.jpのレビューを根拠に購入を判断してしまうことがある。しかし無料のアプリケーションであれば、感情的なコメントや上述の仕組みに則った評価は参考する気にならない。では有料のアプリケーションでは、というとわからない。
だれのために評価し、コメントするのか。その作品の利用を判断する第三者のために、というのは高い視野に立ったときの話だと思う。もちろん、そういう目的意識でもよいのだけれど、マーケットの仕組みを考えるなら、そういうのは自前で記事を書くべきだろう。あるいは、自分のため。気に入ったアプリに一声かけたい、不満を漏らしたい。もしかしたら、開発者のため。褒めてよろこんでほしい、ヘコましてやりたい。自分のためと開発者のための区別がつかないなら、言葉の綾でコミュニケーションのためとでもいってみる。ほかにもある。アプリケーションのため。コミュニティのため。
小説は書くひとが偉いのか読むひとが偉いのかなんていうのは文学に疎い僕が語ることはでないけれど、読み手や利用者が与え手の想像しなかった価値を発見することはありうる。価値を発見するひとに価値があるかとかいいだすとわからないけれど、(与え手の利益や心情に障らない限り)価値を発見できるユーザでありたいと思う。発見した価値は広めたいし、作者には感謝したい。
評価基準の話に戻るのだけれど、まあ、☆というあいまいなツールを使って評価をするというのが、そもそも客観性に欠けるもので、べつにまあ、現実的にはこんな程度でよいだろうとは思う。基準がひとそれぞれでも。かといって、文句をたれたいひとは、推測だけれど、というか、僕は推測しかしたくないけれど、そもそも基準というものを意識しないでしょう。それは評価ではないのだから、情動なのだから、評価の基準もありえない。そういうのはそういうので仕方ないかな。せめて、一歩踏みとどまれるひとには考えほしい。そのひとなりの基準を考えてほしい。そうしないと、評価ってものができないでしょう。でも、そんなことを求めるのが難儀だよね。だから「nice」とか「☆」みたいなインタフェースは好きなんだなあ。
さて自分はというと、やはりコンセプトへの評価に重点をおきたい。だってこの手のソフトウェアっていうのは作者の自主性が強いもんだから、かつ社会的な責任の弱いプロジェクトなのだから、デキが悪くても仕方ないでしょ。いいえ、違う、ソフトウェアじゃなくて、プロジェクトを提供してもらっている。そのアプリはプロジェクトのフンだよ。未来の話とか、可能性の話でいい。アプリがマイナーチェンジするたびに評価とコメントもマイナーチェンジするの。そんな情熱はたかがユーザがもてないよ。だから、評価対象はコンセプトになる。さてコンセプトってなんだろう。作者が作品をつくる動機づけとか、解決したい問題とか目的かな。でもやっぱり、採点なんて自力でまともにできるものではないとも思う。
なんだっけ。まあそんななかで好意的だったり生産的だったりするコメントが寄せられてどんどん成長していくアプリケーションを見るのはきもちがよい。アプリケーションそのもののよさに加えて、開発者のよさがあるから成り立つのだろうし、もちろんユーザもそうだ。

あとがき

よいレビューの仕組みを実現しているサイトといえばDLsiteErogameScape−エロゲー批評空間−が思い浮かびます。
DLsiteはアイコンの5段階評価を使っていますが、「普通」〜「最高」を表すアイコンで、ネガティブな印象を避けています。またサークルさんへコメントを送れる一行フォームがあるのですが、それが「サークルさんへの応援コメント」と表記されていて、ポジティブなコメントを促すようになっています。
ErogameScape−エロゲー批評空間−では感情的で極端な評価への対処として中央値に注目しています(ErogameScape−エロゲー批評空間− このサイトについて)。