批判思考法

批判のこころざしのない者が、批判思考法(カタカナ語訳:クリティカル・シンキング)を、無理のない気分で実践する道筋を想像する。
こころざしのない者にとって批判は空の高いところにある。高いところにはしごを架ける。批判の地面には理解がある。こころざしのない者にとって批判は必要ない。空には蓋をする。梯子もやっぱり降ろす。ただ理解だけを目的とする。
理解を確かめるには問いを遣うと便利だ。問いによって不理解や理解が生成される。これらを組み合わせることで全体的な理解が構築される。しかし傍らに不理解の建物も構築される。批判のこころざしのないものは不理解の原因が自分にあると考える。反省や勉強によって不理解を取り壊そうとする。
批判のこころざしのない者は、理解を信じるがため、おのずとみずからを批判する。こころざしのない第1の批判に挫折した者は不理解の原因を転嫁する。ここに第2の批判があらわれる。