勉強をする意欲

サボりにサボって溜まってしまった春休みの宿題に、そろそろ手をつけないとヤバくなってまいりました(;´Д`)

しかし、高校に入ってから勉強をする意欲がめっきり失われた。中学のころは気持ち悪いほどまじめに勉強していたのに……。受験前はひたすら勉強ばかり。いったい何を考えていたんだろう。なにも考えてなかったんだろうな……。

ただ、読書は良くするようになった。なんとなく難しそうな本を読んでいると、勉強から逃避する自分があまりダメ人間に思えないような錯覚に陥ったりするダメっぷり。結局ダメだ。

勉強をすると、(ノリ次第だけど)それ自体が楽しいし、楽しめることも増えるということもわかっている。でも、難しそうな本を読むほうが自己満足に浸れるし、うわっつらの知識くらいならどんどんつけられる。だから、僕は読書に逃避するんだなー。

でも、学校の勉強、いわば学問の基礎すら身につけずに、なまじ難しそうな本を読んでもあまり意味が無いのも事実。シグマやらlogやら幾何学やらがでてきて、まったく読めない本もあるし、新聞も読まない僕は社会とか宗教のこともさっぱりわからない。文化的な基盤すらわからずに何がわかるというのだ。

ということで、学校の勉強が大切というのもわかっているんだけど、やっぱり学校の勉強というのは“その場で実感できるメリット”が少ない。だから意欲がわかない。んで、しない。だめだこりゃ。

難しそうな本を、なまじわかったつもりで読むことと、つまらないけど基礎的な勉強をコツコツこなすこと、いますべきことは後者なのは確かだけど、やっぱりわからない。ホンマに「チカラ」になるんかいな、と。

って、やっぱりなるんだな。というか、チカラにできない自分がバカだということだ。極端な話、古文の勉強して英会話のチカラをつけられるやつが賢いやつなんだ(なんていう僕はバカですか?)。だから僕はバカだからバカな勉強しかできないんだ。だから勉強しなきゃいけなのかしら。

古文の風情を享受して、テストでも点数をとる。これを同時にできるのは「賢い」ことだと思う。勉強を楽しむだけで、点数をとれないやつはただのバカだと思う。ガリガリ勉強して点数ごときしかとれないやつもバカだと思う。

意味があることを知り、楽しまずに、点数もとらないやつはスゴいな、なんか。スゴいけどもったいないな。やっぱとれるもんはとっといたほうがいい。ん、なんかよくわかんね。

とにかく、たかが点数をとることは、前提だ。とりあえず偏差値をあげよう。簡単だ。簡単( ゜д゜)ハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

んで、楽しもか。英語やってプロジェクト杉田玄白でとってもファニーで知的な訳文を公開してやろう。古文をやって昔のすけべどもの気持ちを知って(;´Д`)ハァハァしてやろう。漢文をやってダイオンジョウをはりあげる武士の気持ちを知って武者震いしていやろう。数学をやって数学的思考? なんじゃそりゃ。社会をやって、社会ってなんだ? 政経をやってこの国の偉い人を侮辱してやろう。理科をやって、理科というのもよくわからん。物理をやってタイムマシンを完全に否定して子どもたちに夢をぶち壊してやろう。化学と生物をやってボツリヌス菌よりもスゴいなんかをつくってやろう。地学、やらない。情報学をやって「情報とはなにか」と哲学しよう。お、これはまともだ。

うん、決まりだ。これだけやれば良いだろう。近いうちに、このセカイは僕のものだ。

( ゜д゜)ハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

さて、とりあえず偏差値をあげなければ(;´Д`)

参考(なんかやる気がない人は読んでみてちょ)
やる気が出ない本当の理由
勉強をする意味を教えてください。