目的の自己増殖性

◆『苦悩する「科学」』の「脳科学」のあたりを参考にしました。

目的と手段

よく「目的と手段をはきちがえるな」という言葉を耳にしますね。たとえば、どっかの重役さんが「ITブームだからパソコンを導入しろ」というというのは、手段であるITを目的とはきちがえています。パソコンは(この場合)仕事のために使うものであって、パソコンを導入することが仕事なのではありません。

何か物事を実行するときには、まず目的を明確にし、そのための手段を検討していく必要があります。目的が不明瞭なままでは指針も定まらず、何かを成し遂げることは難しいです。逆にいうと、良い目的さえ設定できれば、その達成のための指針は自ずと現れてくるということです。

良い目的とは

それでは、その良い目的とは一体なんでしょうか。

人間の脳は目的を設定し、それにアプローチしていくことで活性化するようにできているようです。よって、目的を一度達成したら、また新たな目的を設定する必要が生じてきます。目的の設定だけに終始しないために、目的はある程度困難なものでなければいけません

しかし、あまりにハードルを高くしすぎてもモチベーションが持続しません。目的を達成すると、脳のA10神経が刺激され意欲を長期的に高めることができるからです。(◆『高校生の勉強法』より)

よって、この2点を満たす目的が意欲的に物事を成し遂げるために適しているといえます。しかし、困難でかつ達成されやすいというのは、一見すると矛盾しているようです。それでは、ひとつの物事に熱中するその要因はどこにあるのでしょうか。

登山家が山へ登る理由(目的)として、「そこに山があるからさ」という定番ともいえる答えがあります。ここで注意したいのは、“(その)山の頂上に到達すること”が目的ではないといことです。つまり、彼らは“山に登ること”それ自体を目的としているのです。

“山の頂上に到達すること”が目的ならば、それを成し遂げた時点で目的は失われます。しかし、“山に登ること”は限りがありません。あらゆる山に登りきることなどほぼ不可能ですし、一生山に登りつづけていてはすぐに死んでしまいます。この点では、この目的は達成が極めて困難であるといえます。

かといって、これが決して満たすことのできない目的というわけではありません。“山に登ること”は、山に登っている時点で達成していると捉えることもできます。いわば達成が連続している状態です。しかし、それを本当に達成しているかというと、そうともいえない。

この矛盾の先に目的の本質があるのではないでしょうか。僕は、目的は「既に達成されつつあるもの」であるのが望ましいと思います。

ところで、僕は来年は受験生となりますが、“大学に受かること”はあくまで手段として捉えていきたいです。目的は数限りなく出てくるでしょうが、抽象的ですがとりあえず「賢くなりたい」と思います。

しかし、科学的にも主観的にも「賢さ」というのはまだあやふやなものです。そこで、その「賢さ」の正体を知ることも、「賢さ」につながっていくのではないでしょうか。そして、その正体を知ることで、こんどは自分にとっての「賢さ」を追い求めることができる。その逆で、自分の中の「賢さ」を手探りで育むことで、その正体が見えてくるといったこともあるでしょう。いずれにしても、「賢さ」がもうひとつのあるいはその上のレベルの「賢さ」を生み出すという自己増殖性があります。

目的が達成されながらも、自動的に新たな──しかし、本質は変わらない──目的が発生していくサイクルの中で、私たちは多くのことを意欲的に成し遂げていけるのではないでしょうか。