読書の三要素

「本を読む」といっても、その動機や目的には様々なものがあります。研究の資料として読みこむこともあれば、“なんとなく読む”ことも、立派な読書だと思います。ここでは、僕がどのように読書をとらえているか(本との接し方)を紹介します。

読書の三要素

僕は、読書には以下の三つの要素があると考えます。

  • 知る
  • 考える
  • 楽しむ

まず、「知る」について。これは文字通り、知識を得ることです。学術書・専門書(なんて読んだことないけど)をはじめとして、一般的な教養・知識を得られる新書なども、この対象にあたります。あと、リファレンスや技術書もこれでしょう、たぶん。「知る」ことが目的である以上、それを最も効率的に行える読書法が最適であるといえます。たとえば、下読みや速読、拾い読みなど(読書術)を、おおいに活用すべきです。

そして、「考える」について。文字を読んでいる以上、考えることは当たり前です。ただし、ここでは特に“哲学的な考え”、つまり自らへの問いを重視した考え方を指します。哲学書(ってなんだろう)や自己啓発本思想書などが、この対象にあたります。これには、いわゆる読書術はあまり意味がないと思います。時間にもこだわらず、自分の経験を見据えた上で、自分のペースにそって読んでいくことが大切です。

最後に、「楽しむ」について。小説やエッセイなどのいわゆるエンタメはもちろん、「なんて厳密な論理なんだ」とか「非常に示唆深い考察だ」のような、「知る」「考える」ことによる楽しみにもつながります。もちろん、「知る」「考える」ことを放棄して、ただ純粋に楽しむことも含まれます。

要素とその比重

上では、それぞれの要素ごとに書籍の種類を挙げましたが、これはあくまで一例です。実際には、その本との関係をとらえ、それぞれの要素にどのように比重をおくかを、自分なりに定める必要があります。

つまり、これら三要素は相反しない、ということです。難解な哲学書を読んで「楽しむ」ことも、ひとつの方法です。同様に、軽い小説(べつにライトノベルのことぢゃないですよ)から、人生を深くかんがみることもできます。要は、自分はその本とどのように接していくべきかをいかにとらえるかということです。

読書から情報、そして人の心へ

今回は、これら三要素を読書に限定して述べました。しかし、これは読書に限らず、あらゆる“情報との接し方”にも共通しうるところがあります。テレビ、新聞、雑誌、サイト、どの文章もが、それぞれの書き手の目的により作られ、そしてそれぞれの読み手の目的のもとに読まれます。書き手の目的をとらえ、読み手(自分)の目的を定める──これはひとつのコミュニケーションであると、僕は考えます。

さらには、要素の比重を設定することは、「情報」という空間を越えた、人間関係にも共通するのではないでしょうか。「おまえとは遊びだったんだよ」「そんなっ、あたしずっと本気だったのに!」。うーん、これはマズいか……。

まとめ

僕は「知る」「考える」「楽しむ」の三要素により、読書をとらえる。これらは相反しないため、対象に応じて比重を変えられる。さらには、あらゆる“情報との接し方”を定める指針ともなる。