世界を変えるには

ひどく観念論。どうしようもない。

世界の中で生きていると、どうしようもないことがある。たとえば「君は間違っている」と言われる。その発言が世界という基準において正当なら、その間違いはどうしようもない。

自分をあらゆることにおいて正当化するにはどうすればよいか。それは、世界という基準を自分に合わせること、つまり世界を変えることである。しかし、このような試みはことごとく潰される。なぜなら、その試み自体が、世界という基準から外れているからだ。

もし世界を変えることを正当化すれば、世界は変わるのだ。そのためには、自分が世界になればいいのである。自分と世界とが区別できないほどに、同一化するのだ。そして、自分が変わる、したがって世界も変わる。あるいは、同一化しなくとも、限りなく近づけばよい。世界と離れたところで叫んでも、その声はとどかない。

喩えてみるなら、自分を「磁石N」とする。世界を「磁石S」とする。「N」と「S」は分離している。存在は二つである。そのとき支配できるのは「N」のみだ。「S」を支配したければ、「N」を近付ければよい。互いの磁力によってそれらは同一化する。存在は一つである。「S」の支配が「N」の支配にも及んだ。

ただ、話はそう簡単でない。世界と同一化するということは、ほとんどの場合、世界を支配することでなく、むしろ世界から支配されることになるからだ。「N」が「S」を引き寄せる力を持つことと同様に、「S」もまた「N」を引き寄せる力を持つ。

いまのところ解決策は立っていない。まずは世界に近付こうと思う。