ポジティブ・シンキングは生まれもっての性格ではなく訓練により習得できる技能である、という。とすれば、「きみはポジティブで良い性格だね」と誉めるのは、技能を評価することと等しいのか。人間性や個性というのはなんだ。







サイトのタイトルを変えてみようと考えた。「黒板ほ゜」のタイトルを「同一性解離性障害ごっこ(ポジ)」にし、「生めるブログ」を「〃(ネガ)」にしようとした。「(きをふし)」とか「(客観)」とか「(達観)」などのヴァーヂョンも検討した。
嘘でも良いからポジティブなことを書こうと思ったのがきっかけだ。書くことすなわち志すことは、心理と行動を変える、と推測した。ちかごろポジティブなあるサイトからも影響を受けている。意味は後からでよい。記号から自分を変えようとした。だが、パソコンの前に座ると、もう意欲が萎えていた。
以下は『セルフコントロールの心理学』という書籍を参考にした。メインの目標を「上位目標」と呼び、それに伴う目標を「下位目標」と呼ぶ。僕の上位目標は「知性を娯楽する」や「生産的な生活をおくる」ことなどだ(としておく)。そのための下位目標のひとつが、記号の操り方を変える(いわば自分を騙す)ことである。逆戯言(謎)。そこでサイトの構造を変えようとしてみた。
その意欲が即座に失われた、とはどういうことか。ある下位目標のために何か試みようとする意欲は、〈その試みが成功する可能性〉と〈それが達成したときの効果〉の積で決まる、と考える。簡単かつ効果的な(つまりオイシイ)ことはやりたくなるし、「骨折り損のくたびれ儲け」は嫌だ。これを踏まえると、僕は今回の試みについて〈可能性〉か〈効果〉(または両方)に疑いをもっていたのだろう。それでは、これを検討してみよう。
まずは〈可能性〉だ。具体的には、

(カキカケ)