「これだ」「いまだ」と感じるとき。


『セルフコントロールの心理学』を読んでいる。悩みや不安などへの対策と、なぜその対策が良いかという理由を明確に示してくれる良書だ。これを読んで、やはり僕の悩み(ネガティブ哲学シリーズのような)は大きな問題でないと思った。根本的な理由があるのでなく、日々の反復が心をネガティブに固めてしまったのだ。単なる反復によるものであるから、それで絶望に沈むなど愚かしい。
このように自分を良い方向に導いてくれる手引きはありがたい。と同時に、今度は僕が手引いてあげたい、と思う。とくにがんばりやさんの女の子を! やさしく! それはともかく、僕は、人々が当たり前のように学ぶことを楽しむ世界を創りたいと、野望を抱いている。革命だ。僕にとって生きることは学ぶことと同義であり、よく学ぶことはすなわちよく生きることであると考えるからだ。
本書は僕を「よく生きる」ことに導いてくれた。さらに書籍として出版された社会的な情報であるから、おそらく僕以外の多くの人々を「よく生きる」ことに導いた、またこれから導いていくのだろう。僕もそちらの立場に回りたい。人々がよく学びよく生きる世界へと革命を起こす。これだ。




僕のクラスに新聞のスクラップが導入された。担任の先生と新聞係さんが作成してくれたもので、分野別に分かれている。興味深い記事がたくさんあっておもしろい。しかし、完全に受け手に回っている自分に気づいた。情報という概念に僕は大きな関心を抱いている。情報を収集、解釈し、それを再構築し提供すること。僕はこの方法を模索している。目の前にあるスクラップは、まさに収集、解釈、再構築の産物であった。これを作ったのは、自分ではない。
そちらの立場に、回りたい。
僕は情報を受け取る。作り出したのは、クラスメート。それに、彼に、彼女に、学ばせてもらった。これだ、と感じる。学ばせたい。よき学びへと誘うことが、僕の野望には不可欠だ。そのためには僕自身が学ばなければいけない。いや、僕にとって学ぶことは生きることであり、気にするまでもない前提だ。僕は、当たり前のように、よく学ぶ。この学びをもって、世界を変えよう。
これだ。