他人のひとり語りは面白いのかどうか、について。

ひとは僕の書いた文章を解釈する。その意見のいくらかが嘘であると自覚していて、またその表現のいくらかが誇張であると自覚している僕にとって、彼らの解釈はときに大胆不敵である。辱めるような、驚かせるような、照れさせるような、しかしおもしろい解釈をやってのける。僕の書いた文章を僕以上におもしろく感じるひとは、いるだろう。
同様に僕も、彼の書いた文章を、彼が思っている以上におもしろく感じることもあるだろう。ひとつの言葉からあふれるほどの意味をつむぎだし、捉えた文脈の枠をみずから取り去り彼の人生という虚構へ踏み込む。日々の運営からそれが偽りのない行動であると実感し、やがてサイトとなかのひとという二要素からある種の生命が創発される。事実、僕はあなたの文章にそれだけの価値を見いだしている。どうせあなたは謙遜するでしょうけれど。

  • メモ
    • (追記)逆(?)のパタンもある。素朴に書いたものが、ひとから壮大な解釈をされる。とくに興味深いのは、それが「サイト」や「なかのひと」という背景に基づいているときだ。ふともれた言葉に対して「それがきみだ」といわれるのは衝撃である。
    • 日記のおもしろさは日々の運営からみえてくる。「一日」で済むものは「日記」とよべない。日々積まれていく文章のなかから、おのずと日記が姿を現すのだ。「日記の書き方」はない。あるのは「日記のおこない方」である。
    • 関連:304 Not Modified: ウェブ日記を制する者はブログを制す!takoponsの意味 - 情報と人より)