攻める勉強

これが攻める勉強であるなあと思った。

金谷治老子──無知無欲のすすめ』p193-194から引用、加工)
為無為、事無事、味無味。
無為むいし、無事むじこととし、無味むみを味わう。
何もしないことをわがふるまいとし、かくべつの事もないのをわが仕事とし、味のないものを味わってゆく。
大小多少、報怨以徳。
しょうだいとししょうとし、うらみにむくゆるにとくもつってす。
小さいものを大きいとして大切にし、少ないものを多いとして慎重に扱い、うらみごとに対して恩恵でむくいる。
図難於其易、為大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人、終下為大、故能成其大。
かたきを其のやすきにはかり、大を其のさい(小)にす。天下の難事なんじは必ず易きより(起)こり、天下の大事は必ず細より作こる。ここを以って聖人は、ついに大をさず、故によくく其の大を成す。
むつかしいことは、それがまだやさしいうちによく考え、大きなことは、それがまだ小さいうちにうまく処理する。世界の難問題も、必ずやさしいなんでもないことから起こり、世界の大事件も、必ず小さなちょっとしたことから起こるものだ。それゆえ、聖人は決して大きなことをしたりはしない。だからこそ、その大きなことを成しとげられるのだ。
夫軽諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。
軽諾けいだくは必ず信すくなく、多易たいは必ずなん多し。是を以って聖人すらおこれをかたしとす、故についに難きこと無し。
そもそも、安うけあいでは必ず信義にとぼしくなり、いいかげんな安易なことばかりしていると、必ず難儀なんぎなことが多くなる。それゆえ、聖人でさえもなおむつかしいとすることがあって、だからこそついにむつかしいことは何もなくなるのだ。