「カンださん☆アイぽん」という事柄における野中藍さんという人柄について、ほか

うーん。あれですね。野中さんは、神田さんといるときが、いちばん楽しそうです*1。「カンださん☆アイぽん」でないといけませんね。
センター試験二日目の朝です。きょうは二時間目からの受験であるため、いま、おはようございます、ごきげんよう
先達*2として未来の受験生に忠告申し上げましょう。
センター試験一日目は、自己採点もネットサーフィンもせずに、寝るのがよろしいよ。ことに、小説がおもしろかったので賛否入り混じるウェブ上の感想を読み漁る楽しさに取り憑かれて興奮しながら布団に入る、というようなことは断じて禁ず。
勉強の話をしましょうか。センター試験国語の過去問は、非常に優れたアンソロジーであると思います。しかし分量が多くまた濃く、さらに訓練が得点に結びつきにくい科目であるため、満足できるまでやり込む受験生はわずかでしょう。こうです。どうせやり切れませんから、はやい時期からお遊び感覚で取り組んでみてはいかがでしょうか。

お遊び感覚で、と言いました。これは、真剣にやれ、という意味です。いわゆるギャクセツテキ、ですね。というのも、センター試験本番で、受験生は国語に対して真剣に取り組むことができないからです。80分であの試験を処理できるはずがない。そこで「フィーリング」や「古文は捨てる」などの言い回しが盛んに飛び交うのです。お遊びなら、時間のしがらみから逃れて、すべてを問題にぶつける楽しさを得ることができます。そしてまた、深い学習につながります。

言語学習において、こう思います。読むことの熟練、たとえば速く読むことは、遅く読むことを経てしか至らない。いわゆる速読の話をしましょう。まず、速読をさせてみましょう。訓練者にぼんやりと文字を眺めさせ、ぺらぺらとページをめくらせます。そのあと、ふつうに読ませます。ここで「高速道路から普通車線に降りたような」という比喩をもって、速読の第一歩が語られるのです。しかしこれ、どうも胡散臭い。
思うに、訓練者は、新しい視点に気づいた、にすぎません。「こういう『てきとうに読む』のもありなのか」という、気づきです。たしかに訓練者は、今後この視点を活かすことになりましょう。けれど彼は、読むことに熟練したとは言えません。「速読体験」で得られるのは気づきであり、「速読体験」である限り、気づきでしかありません。
サイトなどを読んでいますと、遅く読むことを勧める速読教室はあまりみかけません(もちろん、あります)。たしかに、速く読みたいひとを招く速読教室が、遅く読みましょう、と出鼻をくじくのは抵抗がありましょう。しかし、
だめだだめだだめだ。速読に話をつなげたのが失敗だった。
ごく端的に話しましょう。たとえば英文です。文法を理解せずに速く読むことはできません。できますが、「速読体験」で得られる程度のものと同じです。ち、ちがう。速読は関係ない!
理屈は抜きにしましょう。どうせ屁理屈です。
読むのが遅いことを嘆く高校生よ、遅く読みなさい。
遅く読む方法を教えましょう。意外と、遅く読むのは難しいものです。
教えましょう、とか、恐れ多い。何様だ。
だ、だめだ。全然、だめだ。
ところで、なぜ優れているかというと、非常に主観的でまいるのですが、サイト論に使えそうな文章がわりとたくさん見受けられるから、です。
どの過去問が良いのかという話ですが、黒本(河合塾)しか読んだことがないのでなんともいえません。石原千秋さんは駿台のを薦めていました。
ぐだぐだです。ぐだぐだっていうのは、

*1:こういう趣向は、きをふし、よくありますね。

*2:いま字引いたら、かなり立派な意味であせった。