個別な印象は偶然に過ぎない

ライトノベルにおけるイラストが作品の個性にどう関わるかっていうことを過去に二回ほど書こうとして頓挫しておる。だいたい書きたいことは「僕はラノベのイラストが好きだ」「イラストで作品の印象が決まるのは仕方ない」「ある作品について、イラストそのもに対する志向が強すぎるのを自覚した」「その作品をひとつの言葉で表すとして、それはイラストの表すひとつの言葉と重なる」「ならば僕はこのイラストが好きなのだ」「あいまいだった個性が粋を増した」「と同時に、そのイラストレータそのものに興味が移り、その個性に広がりがでた」「個性の細分化と広範化が同時に起こったのがおもしろい」(個性という言葉が不自然な気がしてきた。要するに、僕の好きを好きたらしめる、ある作品の本質部分、ということ)「しかし、その広範化によって、もとの作品を表すひとつの言葉とずれが生じた」(個性が旅立った)「もとの個性、つまり作家と絵師によるあいまい性というのもまた独特で貴重だ」(それぞれの個性は奇跡である)「作品に目を向けること、表現者に目を向けること、さまざまな見方によって個性は分裂したり変態したりする」