構成素分析不可層

タグの話に補足。
本文の内容を言い換えるに、「一冊の本」と「一つの記事」に対して同じようにタギングを試みることはできない。べつに個人がウェブに書くことは拙いっていうわけじゃなくて、単に量の都合から。さらにいえば「一冊の本」に対する「一つのタグ」、が、「一人のひと」に対する「一つの記事」、に、対応している。つまり、タグというものを考えると、その微細で単純な姿から、貼る対象はより大きく多彩なものでなければ噛み合わせが悪い。つまり「どこからどこに対してタグをみるか」っていう問題がわりと重要やと思うん。
それと、タグといえばやっぱりその集積であるフォークソノミーなんて発想が思い浮かぶのですが、ここでは置き去りにしていますね。それもまた一考に留めておきたいです。