わくわく

読めなかったらどうしよう、なんていう心配は厄介なものだけれど、わくわくしてしょうがない物語に対しては、読めなくてもいい! もちろん読めたい! でもそれ以上に読みたい! という衝動のおもむくまま、理解に対するモニタリングをオフにして、リスクを冒しながら閾速度のぎりぎりをときに踏みとどまろうとしたり、しきれなかったり。
だから僕のなかで物語を速く読む方法論というのは成立しえない。それは方法でなく、価値の転回によって発生するオプションだからだ。読めることの価値と、それ以外の価値を、ある特別な天秤に掛けたときのみに生じる揺らぎなのだ。下される審判は僕によるものでありながら僕を先行する。僕はただ僕に従うことしかできない。