ドライバー

本棚が届いたので組み立てる。細いドライバーで無理をして手を痛める。はやる気持ちを抑えて買い物に出かけ、食べ物や太いドライバーなどを買ってくる。太いドライバーは、すごかった。細いドライバーで無理をしているときは、これじゃ木のほうが割れちゃうんじゃないの、って感じだったのに、太いドライバーだったら、おらおら、ぐい、ぐい、って精神が高ぶって、ネジをがっちり締めつけてしまった。
モーメントやべえ! 力のモーメント! と(脳内)で叫んでしまった。太いドライバーのほうが力が掛かりやすいというのはぼんやりと理解していた。力が掛かることで、世界の認識まで変わってしまった。壊れちゃうんじゃ? っていう不安は氷解し、ネジを押し込む快楽に身を委ねた。
僕の力をネジに伝えるとき、細いドライバーはボトルネックになっていた。メディアは身体の拡張だから、まるで僕に腕力がないと認識し、かつ全力を込めるさまに危なっかしさを感じていた。よりエネルギーのスループットが大きい端末に取り替えることで、それでも、やっと僕の腕力がある程度まともに伝わり、いままでほんのわずかな力しか伝わっていなかったと知る。
たったこんな程度……。とか、やりすぎなんじゃ……。とか、こういう落胆や不安は、意識に溶け込んだボトルネックに依存しているのかもしれない。なあ、その身体に、何かクッツイテないか?