仕事と勉強、大学生

考えること。勉強と学問、勉強と仕事、学問と仕事、研究室選択、大学院、就活などについて考えないと、と思っている。
もっとも卑近な問題として研究室選択。けれど、それを考えるには、どうしても上に挙げたほかの事柄に絡め取られる。なんとなく、自由に勉強できる時期はもう残り少ないという予感を覚える。それはたぶん常識に囚われているせいだけれど。自分はいろいろな境界に差し掛かっていると思う。
僕はリベラルアーツを学んでいるわけでもないし、コンピュータサイエンスを学んでいるわけでもない。もちろんリベラルアーツも学んでいるし、コンピュータサイエンスも学んでいるとは思うけれど。
僕は仕事をするために勉強しているわけではないし、勉強するために勉強するというのは意味がわからない。勉強は研究ではないし、学問でもない。仕事のために勉強するという選択肢もある。しかし仕事は勉強ではない。これは単なる直感、仕事のために勉強してもコストパフォーマンスが悪い。
逆に考える。自由に勉強できない彼らが、僕らをうらやむことはなんだ。僕は自由に勉強できる。それがのちの焦りにつながるのだとしても、僕はそれをもっている。甘く考えれば、それだけで十分かもしれない、けれど、まだ弱い。
何も考えないのがしあわせかもしれない。しかし考えることを知った人間がそこから逃れられないように、僕は境界に立たずにはいられないのだと思ってみる。何も合理的ではないし、きもちよくもない。理由は説明できないし、納得できるわけでもない。