つくり手の視点、あるいはリバース・エンジニアリング

スーパーの惣菜でぜんまいの炒め物を買った。こんにゃくとかちくわとかにんじんが入っていておいしかった。給食のぜんまい炒めを思い出した。牛肉が入っていておいしかった。
きんぴらとかひじき煮とかいつもつくろうとは思うのだけれど、地味な料理なのでなかなか腰が上がらない。あったらあったでごはんがぱくぱく食べられるのに。
惣菜とか加工食品とか、買うときは割高だろうと思って抵抗がある。材料を考慮して、もし自分でつくれば、ということを想定するから、そう考えることができる。完璧に分析できるわけではない。どうすればさっき食べたぜんまい炒めを再現できるかは、ほとんど検討がつかない。しかし必要そうな調味料なら思い浮かぶ。ググっても出てくる。ある程度料理したことがあるから、それがナニモノであるかを理解しながら食べられる。べつに、おいしくなるわけではない。
出来合いのもの、とはいっても思ったほどコストが高くないこともしばしばである。ちょっとそれを食べたいというときに、パックの惣菜を買うことで最大の満足を得られる場合は多い。それが惣菜のコンセプトである。
完成品と向き合うことで構造と手続きを考察できる。何事もゼロからはじめるのは困難だ。しかしゼロをイチにできるのはみずからの手によってのみである。いったんイチになってしまえば、遠いものも、どれほど遠いかの検討がつきはじめる。
割高である理由によって選択の機会を手放すことはもったいない。この瞬間に余剰なコストを支払うことで優れたマニュアルを引き出すことができる。単なる効率化にとどまらず、新しい豊かさを生む。完成品には付加価値がある。付加価値は付加逆なものではない。経済の話ではない。人間には経験と想像力がある。