戦略における意図と結果の倒錯

北陸は東海よりも寒く、一戸建てはワンルームよりも寒い。雪だか雨が降るし薄暗い。帰省してやることもないので外に出ず食べて寝るばかり。もとから刺激を求めていないので飽きるもくそもなく滞在に苦痛はない。そのくせに慣れというものが蝕むのか帰るのが億劫になる。
天候はひとの気持ちを変えるかもしれないし、文化を決めるかもしれない。環境に対してひとがプラクティスを変えるのは、自分のためかもしれないし、集団のためかもしれない。損益に対するプラクティスの最適化、たとえば自然災害に対するボランタリィな保険制度は容易に想像できる。それが自分のためか、集団のためかはわからない。
ある地域における暗い天候によって文化が暗いことを、我々が暗くなることによるプラクティスの最適化と妄想する。暗い天気に対してわたしが暗くなることは利益である、または我々は暗くなり合い集団として利益を最大化する。プラクティスの最適化が生態的なものなら、これを戦略とよべない理由は何か。