ひとがよろこぶものをつくる

ものづくりをするモチベーションはさまざまだろうけれど、ざっくりといえばつくるのが楽しいからというのと役に立つからというふたつである。さらに役に立つというのも自分のためとひとのためとに分けられる。自分に役立つものをつくれば自動的にファンがひとりつく。
ひとのためには、不特定多数か、そうでないかで分かれる。それは企画の話であり、意図や結果としては見分けがつかないかもしれない。権利や契約にとって明確に制限される場合もある。そのときのものづくりは、不特定多数のためのものづくりとどれだけ異なるのか。
排他的限定数のためにつくるとき、その部分数がものづくりに関わることが重要であると感じる。しかし不特定多数のためのものづくりにおいても、その成果に与る部分数がものづくりに参画する事実は目の当たりにしている。ユーザの参画という点においてこれらを区別するどころか、反省すら思わせる。
排他的限定数のためのものづくりにおける部分数の参画を特別視したい。それが現実であるとしても認知能力の都合にすぎないのかもしれない。
よろこびたいとする。よろこぶための解決を達成するために努力し、また努力を頼るなら責任がある。よろこぶことである。
ひとに、わたしのためを思ってもらいなら、真っ先にわたしがわたしのためを思え。わたしのためのなんたるかをみずから理解せずに理解を請えようもない。